砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

いつの間にかストレンジャー(異邦人)

「ふるさと」と言えば静岡駿河区ですが、帰るたびに都会となってしまい「ふるさと」で道に迷う怪現象が起きる。


家の裏にあった田んぼも、お寺の周りの畑も家が建ち並んでいる。

農道も舗装されてしまうと返って分からなくなってしまう浦島太郎シンドロームだ。


町を歩けばストレンジャー(異邦人)。

デパ地下を歩いていると、お土産屋のオバちゃんが一生懸命何か話し掛けて来るが、何を言っているのかサッパリ分からない。


えっ?ハァ?と聞き返していると、オバちゃん「あっゴメンナサイ〜中国の方かと思ったわぁ〜日本人だったのねぇ⁉︎」(チョットショック!)


私も20で故郷を出て東京暮らし、27でアメリカ渡り、はや45年の放浪の人生。

初めは駿河べんのイントネーションを聞き取れなくなったかと思いきや、そうでは無かった。


確かに無理は無い。

週の中ばの日中にアロハシャツ着た初老のオッチャンが変な帽子被ってウロウロしていれば、外国人旅行者にも思われるだろう。



更には小学生の頃に兄が私に付けたあだ名が「謎のチャイニーズ」だったので間違えられてもいか仕方ない。

(因みに今はロスアンジェルスのチャイナ タウンに家がある)


そんなこんなで物理的な「ふるさと」は遠くになりにけりです。


しかし、今回の帰省で少し気付いた事がある。

「心のふるさと」はまだ昔の友人達の中に確かに生きていた。

20代に共に苦労し語り合った友人達と北海道や横浜で会うことが出来た。

お互いを懐かしみ、昔の苦労した時代を笑う。



そんな青春のカケラがキラキラ輝く時に「心のふるさと」のような懐かしさと優しさを感じました。


今回も昨年に続き横浜で学生時代の同窓会を持ちました。



昨年36年ぶりに会えた後輩の1人は、残念ながら他界してしまったので皆で彼の家に御線香を立に行きました。

ご家族に彼の若かりし頃の話しをして懐かしみました。



彼のお孫さんを抱きながら「君の夢と希望は未来に繋がれて行くよ」と心の中で語りかけました。



お墓は富士山見える日本平にするとの事(静岡高校出身)、実家の近くなので次回の帰省の折には墓参りしようと思います。


生きていれば色んな苦労はありますが、昔の苦労話しを笑って語り合える年齢になれた事は有り難いものです。


昨年から半年毎に帰国しているのでかなりの出費ですよ、しばらくは節約の人生を送って資金貯めてまた帰るとしよう。


次回はアロハ シャツはやめようと思います。

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