砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ロス暴動から30年

先日4月29日は「ロサンゼルス暴動」の30周年だ。

暴動は1週間程続いた「人種暴動」と呼ばれる。



スピード違反、酔っ払い運転と警官の指示無視をした黒人のロドニーキング氏を、4人の警官が暴行する様子を偶然撮影。

しかし、一年後の1992年4月に警察官は無罪の判決が流れた事に端を発し、黒人社会の怒りが爆発。


激しい抗議活動が一部暴徒化して警察署、刑務所が襲撃を受ける。


この時に暴徒のターゲットになったのがコリアン系が経営する商店だった。


昨年もブロクしたが、この時にコリアン タウンは略奪と炎に包まれた、



そしてこの戦場化したコリアン タウンに僕の家族は居たのだ。


International students Houseがそこにあり、僕は学生寮の管理人の様な事をしていたのだが、なんとまあ暴徒の略奪と焼き討ちの暴動に出くわすとは思いもよらなかった。


特に夜は炎に刺激されるのか銃弾の雨が降る。


火事が迫って来ないか屋上に何人かで登れば、銃弾の流れ飛ぶ音が耳をかすめる。


国連平和維持軍のノルウェー部隊曹長だった奴が、銃弾の種類と距離を聴き分けていた。


Houseの壁にも何発か当たっていたが、眠れぬ夜が明けると街は略奪の残骸と燃え残りの無残な姿だった。



鮮明に覚えているのは、そうした修羅場と化した街を生まれてまだ1歳にもなって無かった長男の為に、ミルクを買いに行くと言う奥さんの姿だった。


寮の学生達の食料や日常品も含めて買い出しに行かなければなりません。


朝、静まり帰った路地を恐る恐るコリアン スーパーマーケットに行く。


屋根には武装したコリアンのオジサン達がライフル持って四方を睨んでいた。



多分彼らは昨夜、店を守る為に威嚇射撃をしていたのだろう薬キョウが足元に散らばっていた。



こんな中を買い物に行くんだから「母は強し」だ。

僕はビクビクしながら周りを警戒しながらお供した。


しばらくすると州兵や軍が配備され警戒体制が敷かれ暴動は止んだ。



あれから30年経ったわけだ。

ちょうどニューヨークから電話して来た長男と話しながら当時の状況を思い出していた。


人種間の問題はまだまだ多くの課題を残しているが、今日も教会の礼拝で多くの国際カップの子供達を見ながら一歩ずつ前に前進していると感じました。


今やロスのコリアン タウンは随分と綺麗に発展してます。

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