人生と言う名の旅
何だかんだで生きてきたら、66になってしまいました。
色んな所をほっつき歩いていたら砂漠の町ラスベガスにいる。
ムーア人の諺に「旅をしない者は人間の価値を知ることはできない」とあります。
人生と言う名の旅も、なるほど山あり谷ありの自分探し道でしたね。
人生の岐路に立ち、色んな選択肢で悩んだはずなのに、振り返って見れば1本の道でした。
さて、これからの道は終着地に向けての旅な訳ですが、やはり旅は楽しくありたいものです。
古代ローマの詩人ウェルギリウスは「生きるかぎりは歌いながら行こうよ。道はそうすれば、それだけ退屈でなくなる。 」と語り
名優チャップリンは「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ」と語ります。
人生の後半だからこそ、若い時とは違った持てる夢や希望もあるものです。
その為には健康である事ですよね。
先日、針医師の友人に昨年からの体の不調を伝え、診てもらいました。
緊急時には西洋ドクターが頼りになりますが、体質の改善には東洋医学が役に立つと思います。
身体の中のしこりに血の流れの滞りがあるようで、それをほぐしてもらい、だいぶ調子が良くなってきました。
有り難い事に、自分でも出来る内蔵強化のマッサージ法を教えて頂き、これでこの一年は乗り切ろうと思います。
やはり旅は健康でなければ楽しくありません。
また、奥さんと楽しい旅をしてみたいです。
最近感動し、自分の立ち位置を考えさせてくれた松下幸之助の言葉を自分の誕生日プレゼントにした。
「自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。狭いときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。 坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。」