砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

井の中の蛙シンドローム

先回の続きになってしまうが、食文化の地域性は興味深い。

食品業界に働く者としては関心も持たざるを得ないです。


子供の頃、黒はんぺんは全国的な物だと思っていたが、何と静岡だけと知った時はショックでした。


浪人生で上京した時に、初めて白はんぺん食べて「世の中には不思議な食べ物があるものだ」と驚いたものです。

しかし、不思議な物を食べているのは静岡県人の方だったと知ったのは随分後からでした。



これぞ井の中蛙シンドローム。


とろろ汁の食べ方が静岡特有のものと知ったのも同じ井の中の蛙シンドローム。


今では静岡おでんで黒はんぺんの認知度も上がりましたが、他県からすれば実に不思議な食べ物でしょうね。


白はんぺんが魚の身だけを使うのに対して、黒はんぺんは鯖、イワシを丸ごとすり身にして作るので栄養価満点。

黒はんぺんに慣れてしまった私からすると、白はんぺんはフニャとしてコクと根性が無いように感じてしまう。


しかし、全国的に広まる事なく、隣りの小田原でも白はんぺんだ。

それもそのはず焼津でほとんどが作られているそうです。


これだけ流通が便利になっても食文化のボーダーがしっかり存在するのは面白い。


そんな話を会社でしていると、「お餅も関西は丸餅で関東は角餅と分かれるよね」とコメントが入る。


確かに岐阜県の関ヶ原辺りで餅の形は丸と角に分かれているそうです。

これだけ人の移動は多く有るのだろうに、地域に根づいた食文化は変わらないのは面白い物です。


特に味噌などは地域性がありますよね。


大きく分けて麦味噌、豆味噌、米味噌に分かれるが発酵時間によっても変化する。


マップを見ると地域の食文化の特性が見れて面白いです。



さて静岡はと言うと駿河の国を中心として相白味噌(あいじろみそ)がご当地味噌だそうだ。


京都の西京味噌ほど甘く無く、麹の比率が高い白味噌だ。

徳川の影響下でも、お隣り家康の出身地岡崎の八丁味噌(豆味噌)の影響は受けないで、西京味噌に近かったのは今川の影響の方が文化的に大きかったのだろうか。


アメリカと違い、地域ごとに個性ある味を楽しめるのも日本での旅行の魅力ですね。


味噌はともかくとして、黒はんぺん食べた〜い。

とろろは混ぜるか混ぜ無いか。

ラスベガスは、まだ1月の終わりと言うのに昨日はポカポカ温かく、半袖で過ごせるぐらいの良い天気でした。


ところが今日はどんよりした曇りで、少し寒い。

更に明日は雨だそうだ。

この気候の変化は老体には応えるんだよね。


今日はなんとなく身体が重いし食欲も湧かない。


自分だけなら納豆ご飯で過ごすところだが、今シアトルからの居候を1人面倒見ているので、そうもいくまい。

試行錯誤した上で「とろろ汁」を作る事にした。



ご飯と味噌汁、そして長芋をすれば良いので楽だし栄養もある。


これだけじゃ淋しいので、先週の売れ残りのイサキを開きにしてあったので豪快に焼いて食べた。



これは予想外に美味しく出来ていた、居候も涙ながらに食べていた。


さてとろろ汁の食べ方は事前に教えたのだが、彼は味噌汁ととろろを混ぜない。


本来ならこの2つを摺鉢に入れてガリガリと混ぜるのだが彼にはその様なカルチャーは無いと言う。



東海道五十三次の静岡丸子の「とろろ汁」は戦国時代からの静岡の郷土料理である。(こちらは自然薯)



学校帰りに母が凄い形相で摺鉢をゴリゴリやっていると「今日の夕食はとろろ汁だな」とわかる静岡の郷土料理である。


新潟出身の彼には馴染みが無い料理なのだろうか?と疑問に思ったが、食費を出してもらっている以上文句は無い。

「しかし別々に食べても美味しく無いだろうに」と横目で見ながら思った。


食後、奥さんとの電話でその事を話すと、

「私もとろろとお味噌汁を混ぜるのはおかしいと思う」と思わぬ意見が出た。


「ぐちょぐちょして気持ち悪いじゃん」と言う暴言も吐く。

「なんちゅう事を!駿河っ子を敵に回す言動を〜」

と返したが

「あれは変‼︎」とダメ押し。


夫婦40年目にして明かされた食生活のギャップである。

「よく混ぜるのが愛」と思ったのに。


新潟のみならず、茨城まで食文化のボーダーがあったとは‥…。


まあ単身赴任中は「とろろ汁」を母との思い出と共に1人で楽しむ事にしよう。

シャガール的料理

最近入社した社員がNetflix でやっている「フェルマーの料理」が面白いというのでみたが、3話ぐらいで止まっている。


このドラマは天才数学青年が料理と数学力で前人未到の世界に挑むというドラマだ。



紹介してくれた社員は二級建築士の資格を持つだけあって数学に明るいから(何で魚屋なんかに来たんだろう)、この手のドラマが好きなようだ。


しかし、自慢では無いが数学苦手な私としては今一つピンと来ない。


単身赴任生活で自炊生活14年。

毎日自分で料理するが、お米炊くのもいちいち水の量などはからない。

料理サイトで調理方法は参考にするが、測る量はテキトーだ。


仕事から帰って来て作るので、いちいち測ってなんかいられないわけだが。


したがって同じ物は2度と作れない唯一無二の料理となります。(これでも意外と美味しいですよ)


数学的料理では無く、感に頼る芸術的料理かなぁ。

しかも芸術と言ってもダビンチ的なものでは無く、シャガール的なタイプだ。



「愛の画家」「色彩の魔術師」と呼ばれたシャガールの絵は牛や鶏が空飛んだりして、時空を超越してよくわからない世界があります。

この自由さがいいですね。


私は既製品のおでんなどを買っても、色んな物を混ぜて味を複雑化させるので上手く行けば美味しい。



だが最近、フェルマーまで行かなくても小学生レベルの数学は守らないと失敗する事があると少し反省もしています。


私の作る料理を息子は美味しいと喜んでくれるのですが、「もう一度作ってくれ」と言われると同じ物が作れないのは難点だからです。


料理の基本は忠実に守らないといけないですね。


さて今日のオデンはどんな味の料理になるでしょうか。