砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

米麹と味噌漬け鰹節のカケラの思い出。

通っているドクターオフィスからいつの間にか男性のドクターが消えて、女医さんが担当になっている。


若くて美人なウエスタンのドクターなのだが、美術的なお話しをする訳でも無く、下痢とか前立腺とか夜間頻尿などの話しばかりだ。


彼女から食生活のアドバイスで発酵食品を勧められた。

乳酸菌などの善玉菌プロバイオティクスで腸内環境を整える訳だ。

ヨーグルトやキムチなどと例を挙げられたが、日本食には納豆、味噌など発酵食品は多い。


私は味噌汁作りにこだわるタチで、色んな味噌を合わせて作る。


先日、お客さんのオーダー間違いでカクキュー八丁味噌が余ったので、買って帰った。



この三河岡崎の伝統的味噌は個性的な濃い味噌である。

まるや八丁味噌は1337年創業と言うから凄い、南北朝時代だよ。

カクキューの創業者は桶狭間で破れた今川家の家臣が始めたと聞く。

味噌に歴史ありだ。



初めは八丁味噌だけで味噌汁作っていたが、私には濃すぎて白味噌と合わせ無いと無理。


人間的にも味濃い信長、秀吉、家康など天下人が味わった八丁味噌だが、隣の駿河っ子には余り馴染んで無い。


やはり駿河は今川文化だったからだろうか。


会社の同僚に聞くと、今では市販の合わせ味噌を使うのが多いようだ。


八丁味噌に歴史がある様に、私も味噌との思い出が色々ある。


私の家は古い農家だったので毎年味噌を自家製造していた。

皆が集まるこたつのある居間の隅に米麹を作る為に、何段もの木箱の中に、炊いたご飯に麹菌をまぶして布団を上からかけて米麹を作る。


あの麹の匂いが好きでした。

時たま麹がついたご飯をおやつ代わりに盗み喰いしてましたね。

米麹が出来ると煮た大豆と塩を臼(うす)に入れて、杵で餅つきのように作るのですが、目の前で父母が職人の様に味噌を作って行く姿が、子供の目には妙にワクワクしたものです。

(確か醤油も自家製でしたね。)



この出来た味噌を大きな味噌櫃の中に入れて年間使うのですが、鰹節を削って小さくなった鰹節のカケラをこの味噌櫃の中に入れて2日ほど待つと、これがまた美味しい味噌味の鰹節のおやつになる。



考えてみれば味噌もダシも化学調味料無しの自然の味でした。


思えば学校から帰ったやる事といえば鰹節を削る事と風呂を炊く為の薪割りだったように思います。


兄貴と「左門豊作の音無しの薪割り」の真似にチャレンジしたりして家業の手伝いが多かったですね。



少年時代の味噌汁の味はとっくに忘れてしまったけど、あの盗み喰いした生の米麹と味噌漬けした鰹節のカケラの味だけは不思議なもので鮮明に覚えているんですよ。


もうどちらも2度と食べてれないだろうから、寂しくも残念ですが。


今日は八丁味噌とお酒と砂糖で味噌ダレを作り、煮た大根にかけて食べました、



濃厚な味がきいて美味しかったです。

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