砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

大河を橋で渡る夢。

新年明けましておめでとうございます。


新年早々にして能登半島地震の報を耳にし、被災された方々の御苦労を思うと心が痛いのです。

被害が最小限である事を祈ります。


初夢は1月2日見る夢といわれますが、1月1日の早朝に見た夢も何かと気になるものでございます。


昨年11月は体調を崩し、ER(緊急医療室)でCTスキャンという土管のような物に入り、危うく三途の川を渡るところでした。


今日の早朝の夢は大きな川に掛かる橋を夫婦で渡るのですが、この橋は湾曲しているので坂がきつい。



情け無い事に坂を登りきれずズレ落ちそうになると、前にいた奥さまの「横にある綱を掴んで登るのよ!」の言葉にしたがい何とか橋を渡り切りました。


渡ると寿司屋などがあり日本の町のようです。


空が曇ってたのでスマホで天気を見ると、台風が迫っているらしい。

ちょっと焦りながらホテルを探し、とりあえず雨をしのぐ為にレストランに入ろうと思い、2、3店の店を夫婦でああだこうだと探すという夢でした。


はてさて何らかの意味がある夢でしょうか。


橋の向こうで故人が待っていると凶兆ですが、検索すると大河に掛かる橋を渡り切るのは


あなたの願いが叶うという意味を表しており、あなたに大きな幸福が訪れることを意味しています。 

人知れず努力していたことがようやく目に見える成果として現れることを意味していますので、もう一踏ん張りしてみてください。 

また、大きな川にかかっている橋を渡っているという夢には、あなたに人生の転機が訪れることを意味しています。」


と中々嬉しい意味があるそうですが、台風が迫っている事を含めると今年も波乱万丈かな⁉︎と思ってしまうものです。


夢で橋の坂を登りながら徳川家康の

『人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常と思えば、不足なし。』

を思いながら登ったのも意味ありげですね。


今日は友人宅で昼に新年会があり、それに家族で参加して参りました。


夜にはラスベガスに帰らなくてはいけないので、ニューヨークから休暇に来ている長男夫婦に車で空港まで送ってもらいました。


車の中で長男の嫁が「毎年New Year に明るい一年を願うが、何が起こるか分からない」とボヤく。


イスラエルに友人が多い彼女としては中東の情勢の悪化が心痛いようだ。


「ニューヨーク エリアでも軍事関連の会社がエンジニア(機械工学)の募集を増やしていると」長男は言う。

まだまだ波乱万丈な世の中である。


それと関係あるかどうかは分からないが、新年からUS ARMYの移動が多いようで隣の席が戦闘服着た若い兵士だった。

私服を着た陸軍中尉が隣の若い兵士に自分のファーストクラスの席を譲るというので、私も兵士に敬意を表しながら席を空けて移動を手伝った。


しばらくすると中尉が唐突に「君はどうしてそんなに気品があるんだ?」と質問して来た。


初めは何の事かわからなかったが、首に巻いているUNIQLOのエンジ色のマフラーがカッコ良く見せたか、機内の薄明かりで本をズット読んでる姿に錯覚を覚えたか分からない。


軍人らしくジッと目を見て答えを待っているので「その答えは中々見つかりません サー」と返すと、チャイニーズか?と聞いてきたので「ジャパニーズだ」と答えた。


すると中尉は手を合わせ日本語で「分かりました。ありがとうございます」と言われました。


変な軍人だなぁと思ったが「Happy New year sir !」と言って別れました。


さて龍の年はどんな年になるのでしょうかね。


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