男の修行
今日は20年前からお付き合いがある高級鮨屋のオーナーシェフ(大将)が会社に来られたので、40分程お話しをさせて頂いた。
ラスベガスの寿司レベルを劇的に変えたと言っても過言では無い鮨屋の大将で、アメリカのみならず日本からも著名人が訪れている。
今日も大間の本鮪をビシと出させて頂いた。
寿司屋の小僧働きから修行して、有名店で職人として技術を学び、ラスベガスで自分の店を開いて来た様々なエピソードを聞かせて頂いた。(まあ、何度も聞いているのだが...)
やはり最近の課題は使っている若い職人さん達のレベル アップだ。
日本と違い料理人としての基礎的、基本的な修行をして来ているわけでは無いので、シャリの炊き方、食材の扱い方にしても「え、そこからかよ!」と困ってしまう事が多いらしい。
まあ、私ら卸業者からすれば、イッパイ買って下さるお客さんには感謝なのだが「コレは日本食として大丈夫かなぁ〜」と首を傾げるお店は確かにある。
ある日本人シェフがいない店で小さめの日本鮮魚を色々買ってくださるので、どんな風に使っているか気になっていたのだが、先日このお店のチラシ寿司の写真を見てオッたまげた。
チラシだから酢飯の上に刺身が載っているは当然だが、その上にあたかも生花の様に3種類の魚の頭が刺しているのだ。
もはやチラシ寿司のレベルを超えて芸術の域なのかもしれないが、魚屋の私でさえチョット躊躇した。
コレには大将もかなりウケて笑ってくれたが、それだけナンチャッテ寿司が多いわけで、彼らを基礎から修行させる事が難しい時代である。
私らの世代は職人の仕事も、スポーツにしても厳しい修行や鍛錬を通して一人前になるという認識が強かった。
昔の寿司の修行などは、今ではパワハラで直ぐ訴えられてしまうレベルだ。
大将の修行時代も親方が怒ると包丁や鍋が飛んで来たそうだ。(コレは危ないですね)
経営の神様 稲盛和夫氏は
「人生というのは魂の修行の場ではないかと考えている。
苦難は魂を純化、深化させる為に与えられた試練であり、成功もその人間がどこまで謙虚でいられるかを試すものでしかない。」と言われる。
人生そのものが修行と思えば、現代の社会に溢れる恨みや、不平不満の半分は無くなる気がしてならない。
そんな事を話しながら思いました。
「苦しい事もあるだろう
言いたい事もあるだろう
不満な事もあるだろう
腹の立つ事もあるだろう
泣きたい事もあるだろう
これらをじっと堪えて行くのが男の修行である。」
山本五十六