砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

息子の祈り。

ニューヨークの息子からテキストが来た「モモの為に祈って欲しい」と。


モモとは息子夫婦が可愛がっているメス猫である。

もう13歳を超えていると言うので、人間で言えばかなりの婆ちゃんだ。



一日中吐いて調子が悪るそうなので、心配で翌日動物病院に連れて行ったそうだ。


さて息子の「モモの為に祈って欲しい」という言葉にチョット驚いた。


息子は信仰心など持っていない現実主義者である。

政治思考もリベラルなので、先の大統領選挙でも随分と親子討論したものだ。


4年ほど前に「祈り」の事で言い争いまで行かないが理解の違いがあった。


彼は当時シニカルな性格で「人に祈ってもらって自分がどうにか成る事は無い!試験も就職も自分の実力で何とかする」と随分傲慢な奴だった。


しかしニューヨークで家庭を持ち、愛する対象を得て随分変わったようだ。

「愛は人を変える」と言う奴だな。


人間生きている上で自分の力ではどうしようも無い事に直面する時がある。


僕も奥さんの乳癌の手術中に待合室で出来る事と言ったら祈る事だけだった。

その辺にある雑誌を読んで、リラックスなどできませんよね。


母の臨終にも何か出来る訳ではないので海を越えた地で祈るしかなかった。


特に僕みたいに単身赴任で家族と離れていると家族の安全と幸せも祈るしかない。

(あとはお金を作ること)


「愛する者の為に祈る」と言う事をたとえペットの為であっても願う息子のテキストに、何か嬉しいものを感じた。


次の日に「モモはどうだったの?」と電話すると「う〜ん大丈夫、ただの食べすぎみたい。太り過ぎと言われた」と聞いて愕然。

(動物の為に祈らされたのは初めてかな😅)


家族を巻き込んだモモの為の祈りの効果が有ったか否かは、現代の科学では解明する事は出来ますまい。



さて母の一周忌でもう直ぐ帰国するが、兄も闘病しているし茨城の義母も94歳であるが施設の中でコロナ感染してしまい心配である。


健康の回復を深く祈るばかりである。

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