砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

「青大将盆踊り」

兄が病気の治療で体調が良くないと連絡を受けて心が痛い。

コロナ前に帰省した時は元気そうだったのでショックだ。


今の時代、校長職も色々大変な仕事である。

退職しても長年の疲れが年を取ると病として出てくるのかもしれない。

早く元気に回復してくれる事を願う。


僕も高校卒業後は東京に出て、大学以後は渡米してしまったので、兄弟それぞれ余り一緒にいた訳では無いが帰省の度に大変お世話になっている。


やはり兄弟での思い出は小中学生の頃が多い。


農家の長兄はそれはそれは絶対的な存在であり、弟と言うより半分は子分みたいなものであった。


兄がビートルズやモンキーズに凝れば、僕らも一緒に音楽聴いてゴーゴーを踊ったり、プロレス ブームになれば必殺技の実験台になる。



学校から帰って来れば兄弟三人で庭で草野球をするのが常だった思い出がある。


あの時代の兄弟での思い出が一番印象に残っている。


僕らのプロレス ブームと言えばジャイアン馬場やアントニオ猪木の時代だ。


モンスターロシモフとかデストロイヤーとか今思えばキャラが際立っていた。


ある日、学校から帰って来た兄が「必殺技を編み出した!」と言って、その技をかけられた。


技の名前は「青大将盆踊り」だった。


どうやらアントニオ猪木の必殺技「コブラツイスト」の改良技で、コブラが青大将にツイストが盆踊りに代わり「青大将盆踊り」となった訳だ。



それに気付かなかった僕は「こんな凄いプロレスの必殺技を編み出す何て、兄は天才か!」と本気で思ってしまったものだ。


僕も何回か技をかけられて悲鳴をあげながら「ギブちゃん、ギブちゃん!」と我が家独特のギブアップをする。

話しによると技をかけ、身体をロックした状態で脇をクスぐるとか屁をかますなど、身の毛のよだつドドメがあったと言う。


兄の事を思うと70近い今より、そんな10代のどうでも良い可笑しな事を思い出してしまう。


あの必殺技の痛さを身体が覚えているからだろうか。


さすがにお互い年を取ってプロレスも野球も一緒に遊ぶ事は出来ないが、あの「青大将盆踊り」の技をかけてくれるぐらいに元気になってくれるよう祈る。

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