砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

「闘う政治家」

偉大な政治家の悲劇的、衝撃的な死に世界が哀悼の意を捧げている。


ホワイト ハウスは半旗を掲げ、世界の要人達は深く安倍元首相の死を悲しんでいる。



僕がアメリカから見ても、日本国総理大臣として世界の安定と平和の為にこれだけ貢献した人はいなかったと思う。


あの難しいトランプ大統領との信頼関係を築けたのも、類稀なる外交能力と政治信念があったからだと思います。


世界の首脳がトランプ氏とどう付き合えば良いかを安倍氏に聞いて来たぐらいだ。




「安倍元首相が凶弾に倒れ死亡された」と聞いて残念な思いと冥福を祈りながら、フッと思いついたのが著書である「美しい国へ」だった。


大宰相安倍晋三の政治的信念、国家観についてもっと知らなくてはならないと思ったからだ。


マスコミや評論家の語る安倍晋三より、本人が著した本を読んだ方が良い。


日本にも世界にも大きな損失と言えるその死の状況や原因も重要であるが、安倍晋三の生き方、政治信念、国家観を学ぶ事が供養になると思った。


ラスベガスに日本の本は売ってないので、Amazon Kindleで探すと2012に書かれた「新しい国へ」と言う本が「美しい国へ」の改訂版としてあったのでオーダーした。



仕事の合間合間で読んでいるのでまだ途中だ。


この著書の「はじめ」にこう書いている。


“時代は変わったが、わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている。

それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。

「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。  

わたしが拉致問題について声をあげたとき、「右翼反動」というレッテルが貼られるのを恐れてか、運動に参加したのは、ほんの僅かな議員たちだけであった。事実、その後、わたしたちはマスコミの中傷の渦のなかに身をおかざるをえなかった。

「応援しているよ」という議員はたくさんいたが、いっしょに行動する議員は少なかった。「闘う政治家」の数が少ないのは、残念ながら、いつの時代も同じだ。”


— 新しい国へ  美しい国へ 完全版 by 安倍 晋三

https://a.co/0dHjGoQ


安倍氏が様々は法案を成立させて来たのは「闘う政治家」であった故である。


自らを「開かれた保守主義」と語る安倍氏は


“「保守」=悪玉、革新=善玉と言うイメージの時代でも「この国に生まれたのだから、私はこの国に自信を持って生きたい。----

私にとって保守と言うのは、イデオロギーでは無く日本、日本人について考える姿勢の事だと思うからだ。


言い換えれば百年、千年と言う日本の長い歴史の中で育まれ、紡がれて来た伝統がなぜ守られて来たかについて、プルーデント(手堅い確か)な認識を常に持ち続ける事、それこそが保守の精神ではないかと思っている。”


2002年の北朝鮮の拉致被害者5人を恒久的帰国に成功させたのも、当時小泉首相と訪朝した安倍氏の粘り強い外交と信念のおかげです。


安倍氏は「外務省の一部の人達は、相手の作った土俵の上で、相手に気に入られる相撲を取って見せるー従来から変わらぬ外交手段」


「つねに相手のペースを崩さないように協力して相撲を取れば、それなりに見返りがある。

それを成果とするのが戦後の外交であった。」

と批判している。


確かにそれでは北朝鮮問題は解決出来ないし、韓国の駄々っ子のような外交姿勢、すぐにマウントを取ろうとする覇権主義丸出しの中国と日本は渡り合って行けなくなる。


安倍氏はあの混乱の時代に「安全保障と社会保障」を政治信念として、イギリスを勝利に導いたチャーチルを尊敬している。


また長州人であるので吉田松陰が好んだ孟子の言葉「自らかえりみて、縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」すなわち、自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないと言う信念を抱いたら、断固として前進すべし。

と言う言葉を著している。


吉田松蔭の弟子たちが、師の死後にその意思を引き継いで日本の夜明けを築いて行ったように、安倍元首相の「美しい国、新しい国」の政治信念、理念を相続した政治家が日本をより良くする為に頑張って下さる事を祈るばかりだ。


安倍元首相も天からそれを願っているだろう。



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