砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

アイツどうしているかな。

さだまさしの「案山子」が車の運転中に流れた。  



「手紙が無理なら〜電話でもいい〜金送れの一言でもいい〜」のフレーズを聴きくと時代の違いを感じますねぇ

昔は東京から田舎に電話するにも、公衆電話に小銭を焦る様にジャラジャラ入れながら要件だけ伝えて直ぐ切ったものだ。


今では世界中LINE やテキストで「元気かい?」と簡単にメッセージを送る事が出来る。

便利な世の中になったもんだ。


先日はシンガポールとのビジネスで「WhatsApp 」のアプリもダウンロードする事になった。



「元気でいるか〜町には慣れたか〜」と聞きながらニューヨークの息子達の事も思いはするが、意外にも高校、大学生時代の友達の事を思い出していた。


さほど深い付き合いでも無く、コレからも会う事は無いだろうと思える奴らだ。

しかし僕のその時代の一コマで、何らかの関わり合いがあったからフッと思い出すのだろう。


「アイツどうしてるかな〜?」と思い出す。

たとえ名前さえ曖昧になっていてもだ。


奥さんに話すと「歳のせいね」とコメントされた。

確かにそうなのかもしれないです。


運転中と言う事もあり、渡米してドライバー免許を取るのに教えてくれた奴の事も思い出した。


僕とは違って随分と濃い顔の男で、元暴走族だったと言う。

僕の運転が荒いのはそのせいかもしれない。


「ハイウェイ15の狼」(自称)言われた僕も、もう運転に疲れてラスベガス〜ロサンゼルスはもっぱら飛行機になってしまったのだが。


確かドライビングの練習はテキサスでしたと思う。

問題は乗用車での練習では無く、いきなりボロいバンでの練習。

11人乗りぐらいのデカいバンで練習し、免許のテストを受けたのだから試験官も驚いていた。



「暴走族」と言うのも懐かしい時代の響きだ。

当時の「暴走族」には良いところのお坊ちゃんや、警官、教員の息子など意外な若者が多かったとも聞いた。

さて、彼が族の仲間に檻の中で教えてもらったと言う歌が面白かった。

軍歌「同期の桜」の替え歌なのだが「キサマとオレとは、キサマとオレ〜だ〜、キサマとオレと〜はキサマとオレだ〜」と最後まで続くのだ。


どうしようも無い歌だが、何故か耳に残っている。


別の道を歩み、もう会う事は無いのかも知れないのだがフッと思い出す。


その他の数多くの人との出会いと別れ。

今は記憶の片隅にあるのだが、あたかも水の下の方から水面に出てくる気泡の様にプッカリプッカリ記憶に浮かぶ。


よ〜く思い出してみれば、「一人一人に『貴様と俺』の接点があったんだよなぁ」と思う。


土曜の午後の回想は暑さ故か、それとも「さだまさし」のアルバムのせいだろうか?


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