砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

カウント ダウンの花火

日本や韓国から新年の御挨拶を頂いているが、返答しようか迷っている。


アメリカはまだ2021年で「明けましおめでとう」と返すには、あと5時間ほど待たなければならない。


この時の狭間の中で、一人ゆく年くる年を待つオッサンである。


今日は朝2時に起きてカウントダウンを迎える為に賑わうベガスでの仕事が終わったのは午後6時。


かなりヘトヘトではあるが、恒例の深夜のカウントダウンの花火を見たい気もする。



今年もコロナで始まりコロナで終わった一年であった。


色んな事がありました。


長男の結婚、母の他界、友や同僚の病、旧友との出会いなど、嬉しい事や悲しい事が入り乱れた一年だった。


年越し蕎麦をボ〜と茹でながら、新年に向けて漠然と思った事は「陰徳を積もう」という言葉です。


何か深い理由がある訳ではない。


母の臨終に逢えず、そのあいだ母の残した俳句集から善良に生きてきた姿に徳を積む大切さを感じたからかもしれない。


病の友を見舞い、その家族の為に食事を作りに通う妻の友人の話を聞いたからかもしれない。


或いは足が折っても健気に家族を支え、頑張っている友の愛情を聞いたからかもしれないし、

障害の子を持ちながら苦労しているのに、入院した旧友の為に千羽鶴を折る友人の友情を知ったからかもしれません。



認められ評価される陽徳に対して、人知れず陰徳を積む事は、より自分の良心の声に忠実な生き方ですね。


人が見てようが評価しようがしまいが、天の前に神様の前にどうあるかが大切だとつくづく思うんですよ。


新年を前にして、そんな生き方をせにゃならんなぁと思った次第です。(蕎麦食べながら)


カミュの「ペスト」のようにロックダウンやパンデミックの時は人の本性が出やすい時ですね。


来年はより良い人間になりたいものです。


ラスベガスの夜空を飾るカウントダウンの花火の様に、コロナ禍の中でも綺麗に咲かす人生にしたいものです。


さてあと4時間半で2022年です。

時はゆっくりと進んで行く。


とりあえずラベンダーの風呂でも入ろうかな。

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