砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

秋の小道

前に書いたホテル内高級カラオケ店の話で少々間違えがあったので訂正しておきます。


VIPルームが1時間千ドルと書きましたが、確認したら1万ドルでした。

日本円だと約百万円!もちろん食べ物飲み物は別料金。

フレンチポテトで30ドルと言うから驚きだ(床に落とせませんね)。

僕がココで歌う事は一生無いだろう(顧客ではあるが)。


さてお昼に奥さんに電話したらゼイゼイ言っている。

どうした?と聞くと。


「丘の向こうに用事があるので散歩がてらに歩いて坂を登っているが、この歳で上り坂はキツいわ〜!

早く下り坂に辿り着かないかなぁ〜ゼイゼイ!」と息を切らせながら言う。


「人生を感じるね〜」「でも上り坂が有れば下り坂も有るもんだ。でもマサカの坂はもうゴメンだよな!」

と答えた。


人間60年もやってれば色んな坂があった。

「マサカの坂」も何度かあった。


自分が病気で倒れた時も、奥さんが倒れた時も「マサカの坂」だったし、

会社乗っ取り事件で辞表叩きつけ、同志達と会社を立ち上げたのも「マサカの坂」。


しかし人生後半となるともう病気や事件もなく、ゆるやか〜な坂でゴールしたいと願うものです。


奥さんの話では、坂の上に大きな柿が実っている家があると言う。



しばらく、立派な柿を見ながらふる里を思い出していたそうだ。


ロスの家の周りは昔から日本人が住んでいた家があるので桜や柿など日本を思い出す木々が生えている。


確かに十月の後半、この時期になると毎年日本に帰省していた。


奥さんの茨城の実家は片田舎で、あちらこちらに柿の木があり、たわわに柿が実っていた。


柿みのる小道を茨城の婆ちゃん連れて3人で自転車を押しながら買い物に行った情景が目に浮かんでくる。


(まさに三年前に描いたイラストの情景)

その茨城の婆ちゃん(義母)も倒れて、今は施設にいる。

日本の新型コロナ感染もだいぶおさまり、来年の九月の母の一周忌には帰る事が出来るかもしれない。


ふる里に続く小道は何歳になっても懐かしいものだ。


「秋日さす 小道なつかし 母の里」


      亡き母の俳句集から。

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