砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

中秋の名月と秋夕

昨夜は中秋の名月。


ロスからベガスに帰る砂漠の空に、綺麗な満月がポッカリ浮かんだ。


「十五夜お月さん 雲の上〜」と口ずさむよりも「月の砂漠をはるばると〜」と歌った方がビッタリくるネバダ砂漠の満月だった。



余談だが「月の砂漠」を作曲した佐々木すぐるさんは、僕の母校である東豊田小学校の校歌も作曲された方だ。



旧暦と呼ばれる昔の暦は、月の満ち欠けを基準にしたものなので、月を愛でる習慣が日本の文化の中には根付いている。

特に秋の収穫前にのぼる満月を祝う風習は、平安の昔からあったらしい。


十五夜のお月見と言えばススキとお団子だ。



ススキは稲の代わりで収穫の時が来た事を祝い、団子は古来は里芋を供えた名残りだそうだ。


このコロコロした団子をピラミッドの様に積むのだが、一番上の団子は霊界との懸け橋になると考えられていたそうである。

これも日本の祖霊信仰の名残りであろう。


確かに満月を見ていると、引き込まれる様な霊的、神秘的な魅力がありますよね。


とき同じくして韓国では秋夕(チュソク)が始まる。


まるで日本のお盆の様に(仏教的要素は無い)、親族が故郷にかえり、墓参りなどをして祖霊を敬う韓国の伝統行事だ。

キリスト教が強い韓国でも、この伝統文化は別のようだ。

さらには霊界を信じ無い、共産主義国家の北朝鮮でも秋夕は休日になるそうだ。


親族が集まるとお母さんや嫁さんは休む事なく料理を作ると言う。

韓国にお嫁に行った友人達は戦闘態勢に入っているに違いあるまい。


ひと時、LINE上でそれぞれが見える秋の名月をアップして楽しんだ。


ラスベガスの砂漠から見る月も、横浜、東京、新潟から見る月、そして韓国から見える月もみな綺麗であった。







遠く離れた地からでも、同じ月を見ながら語り会うのが不思議で面白かった。


農家はいないので豊作を祈る訳では無いが、お互いの健康と平安と成功を祈った。


家族の料理に忙しい友も、台所の窓からこの月を見上げているだろうか。


秋の豊作と祖霊を祀る中秋の月であるなら、今月他界したばかりの母や先に霊界に行った親族、友たちの事も想いながら、美しい中秋の名月を愛でた。


遠き国 想いを繋ぐ 中秋の月

    清次郎 心の句

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