砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

愛のカタチ

病状の母を励まそうと、昔の写真を集めながら今に至るまでのアルバムを作っている。


懐かしい写真、楽しかった写真を見返すのは嬉しいものである。


昨夜弟から何枚かの、お宝写真が送られて来たが、その1枚にハタと目が止まる。



「ど、どちら様でしょうか⁉︎」と思わず弟に聞いてしまった。


よ〜く見ると、父と母のようだ。

「いや〜お母ちゃんも美人だったんだな〜」と思わず唸ってしまった。


物心ついた頃の母はネズミをホウキで叩き、蜘蛛やコキブリなども素手で殺してしまう農家の強い母である。

小学校の時は僕の頭の調子がチョット悪かったので、恐怖のスパルタ教育してくれた母がこんなに美人だったとは!


何歳の時だったのだろうか?


二十歳に家を出てしまった僕は余りその辺のファミリーヒストリーには疎い。


兄夫婦が編集した俳句集の後書きには

「昭和五年生まれで、学生時代は戦争中でした。

勉強は落ち着いてした覚えもないし、苦手だった。

長沼の日東紡績に清水から勤労動員で来たことや、食糧難と空襲が学生時代の思い出だった」

と記してます。


父の青年時代も戦争の真っ只中、静岡大空襲のときには青年団で消防隊もやっていたので、その惨劇を空襲の証として書いてあったのを読んだ事があります。(静岡新聞だったかな)


そんな大変な時代を乗り越えて、嫁ぎ、子を育て来た母は逞しくなるはずです。


父母の時代、僕達の時代、子供達の時代をアルバムで追いながら、フッと思う事があります。


移り変わる時代の中で、家族による世代を通して受け継がれて行く物が有ると。


父母は子供達の時代がより平和に幸せになってくれる事を願い、大きくなった僕達もまた子供達の時代がより平和で幸せである事を願っている。


そうした「親の願い」をバトンのように世代ごとに継承しているんじゃないでしょうか。


その願いや愛情が「愛のカタチ」となったのが家族です。


患難の時代や調子の悪いこと、残念な事も有るけど、愛のカタチである家族を守る為「昨日より今日、今日よりも明日」と皆んな頑張っていると思う。


弟の送って来たもう一枚の写真が好きだ。


弟と農作業を手伝っているのだろう。

(因みにボ〜としている方が僕です)


母の屈託の無い笑顔に、家族を守る母の強さを感じる。


母の俳句集から一つ


田植え傘 かぶりしままに 子をあやし

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