思い出ボロボロ: 少女A編
コロナ禍では不要不急の外出は制限されているので、より家庭的、内的になる。
普段気付かなかったお互いの事を話したり、考えたり祈ったりする事が出来る。
失う物が多かったコロナ禍であっただけにお互いを気遣い、より家族の絆を深めるチャンスでもある。
家族から500マイル離れて究極のソーシャル デスタンスをしている私も、電話でのコミュニケーションではあるが心の繋がりを深める努力をしています。
実は昨日、奥様との電話で今まで知らなかった彼女の一面を知ってしまった。
先回ブログに書いた女学生時代の早弁の話しから奥様の思い出がボロボロ出て来たのだ。
早弁は一時限目の授業後の弁当だけでは無かった。
家で朝食を食べ、登校前に駅の売店で稲荷を食べ、早弁と昼休みのパンの買い食いにとどまらなかった。
下校後、駅から家の間にあるラーメン屋でよくラーメン食べてから家で夕食を頂いていたそうだ。
脅威の食欲である!フードファイターか!
私の思春期は人生の問題に心悩ます時代だったが、奥様は空腹に腹悩ます健康的な時代を過ごしたようだ。
北茨城の田舎で登校時間が電車も入れて90分ぐらいだったので無理もないのかもしれない。
「良くそんなお金あったね」と聞くと、学校に隠れて喫茶店でアルバイトをしていたそうだ。
当時の私の故郷静岡では完璧に不良少女Aである。
その喫茶店は韓国系のパチンコ屋さんが経営していた。
まずい事にパチンコに来た担任の先生に見つかりコッピドク怒られたそうだ。
「お金貯める目的は何だったの?」と私が聞くとギターを買いたかったそうだ。
コレは初耳である。
「何で⁉︎」
「実はあの時、井上陽水に憧れてキダーを弾けるようになりたかったんよ!」
「...で弾けたんかい?」
「実は手が小さくて上手くなれず、そのうちやめたわ」
確かに奥様の手は紅葉のように小さい。
フォークシンガーの夢は絶たれ、ギターは物置に置かれたままとなった。
しかし奥様がギター抱えて「探し物は何ですか?〜...夢の中に行ってみようと思いませんか〜」と歌っていたとは実に興味深い。
今度カラオケで歌って貰うとしよう。
ウチの次男も一時ギターに燃えて、毎日ポロロン〜ポロロン〜と不協和音を聞かされていたが、今やそのギターはただのホコリを被った置物となっている。
「恐るべしDNA!」
そのバイトしていたパチンコ屋の娘さんが山口百恵そっくりで、百恵ちゃんデビューの時は「何であの子がテレビ出てるんだ」と思ったそうだ。
「あの子どうしてるかな〜」と昔を懐かしむ奥様でした。(もう60過ぎたバアさんと思うが)
冬の寒く長い夜、奥様のボロボロ出てくる思い出話に耳を傾けるのも暖かくて良い物ですよ。
皆さんにもオススメします。
さて、本題は次回のブログ。
奥様の「泣くな青春〜恋のゆくえ編」です。