母の弁当
母の弁当とは不思議な物である。
オカズとご飯を普通の皿の上に置けば何の事はないランチであるが、弁当箱の中に詰めただけなのに不思議なワクワク感がある。
玉手箱では無いが、中に何が入っているか開けるまで分からないのが魅力だ。
(この写真は違います)
何で弁当の話をし出したかと言うと、奥様が会社勤めの息子の為に毎日弁当を作っているので、弁当にまつわるエピソードが色々出て来たからだ。
私も中学、高校生の時は宿題忘れても弁当だけは忘れなかった。
宿題忘れて廊下に立たされた記憶はあるが、弁当を忘れた記憶はまず無い。
学校で何が楽しいと言っても弁当食べる時だった。
晩飯は兄弟とのオカズの取り合いの修羅場になるが、ランチの弁当は自分だけで独占出来るのだ。
母が自分の為に作ってくれる弁当は愛情の実体化であるが、若い時などは本能的に空腹を満たす餌くらいの感覚であった。
時が過ぎてから母の愛情と感謝の心が湧いてくるものです。
奥様が学生の時は何時も昼休みまで我慢できず、一限目の授業が終わったら早弁していたそうで、昼は何処かで買い食いをしていたと言う。
真面目な学生だった私はその話を聞いた時「この人は不良だったのでは...」と思ってしまった。
「寒い北茨城の冬は教室の暖房の上に弁当箱を置いて温めていたんだよ〜」と楽しそうに話す。
「授業そっちのけで弁当の事ばかり考えていたのかな〜」とも思ってしまった。
さて息子も会社の近くにファーストフードもマーケットもあるのだから、そこで買って食べたら良いだろうと思うのだが、お金を払っても「母の弁当」が良いそうだ。
私達の若い時と同じで何が入っているか分からないワクワク感が良いのだろう。
大した会話がない時でも弁当が母と子の会話になっているような気がする。
米粒一粒も残さずに帰って来る空弁当箱に「食べ終わったら舐めているんかいアイツは!」と言う奥様の声は嬉しそうだ。
「食いしん坊は貴女に似たに違いない」と心の中で私は呟いた。
そうした弁当作りも息子がアパートに引っ越すであろう春ぐらいまでかもしれない。
私も最近弁当持って会社に行くが、大体夕食の残り物で中身が分かっているのでワクワク感は無いな。
自分で作る単身赴任の倦怠感丸出し弁当は消化にも良く無く寂しいものです。