砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

思い出ボロボロ ー 青い山脈編

人間還暦を過ぎると昔の苦い経験や、チョット恥ずかしい思い出も笑って話せる様になるものです。


奥様が電話でポロポロと話す思い出も、今となっては懐かしい笑い話が多いものです。


それは北茨城を舞台にした「泣くな青春」や「青い山脈」的な物語。


アレは奥様が花も恥じらう女子中学生の頃、影ながらお慕いする男子生徒がいました。

N君は成績優秀で野球部の4番を打つ学園の人気者、当然全校の女子の憧れの的です。 


そんな高嶺の花(?)なので慕うと言っても声をかけた事もなく、電信柱や物影に隠れてジと見ていたような片想いだったそうです。

(今ならストーカー規制法に引っかかります)

(すみませんアップルペンが動かないので指で書きました。幼児画レベル)


しかし中学卒業後、K君は県下でも優秀な水戸の高校に行き、奥様は全く逆方向のもっと山奥の高校に通う事となりました。


この話のもう一人の登場人物が、奥様の小学校以来の親友A子さんです。

私も先回日本に帰省したおりに会いましたが、一目で若い頃はさぞかし綺麗で人気があっただろうと思えるA子さんでした。

(帰省時には私達を車で茨城観光に連れて行って下さったりして大変親切にして頂いています)


A子さんも水戸の高校に電車で通っていたのですが、当時お付き合いしていた男子学生がいたそうです。


彼はかなりの秀才で「末は博士か東大か」と言われていました。

しかしある日、湖で遺体として発見され、警察が調べても事故か自殺か未だに分からないコールド ケースだったそうです。

哲学に興味を持っていたそうで何時も思索に耽っていたとのこと。

余り若い時に考え過ぎるのも良く無いですね。


そんな火曜サスペンス的な事件があり、大変ショックを受けたA子さんでしたが、通学の電車が同じだったN君が励ましてあげてたそうです。


やがて時が過ぎ、悲しみを乗り越えて二人は結婚し幸せな家庭を築きました。

目出たし目出たし。


この話は前に奥様から断片的に聞いてはいましたが、今回はコロナ禍の長い夜の思い出話しとしてじっくりと聞かせて頂きました。


さて、N君は教職に付き校長先生となり還暦を迎え退職したのですが、A子さんの話では奥様の実家の近くで退職後の仕事で幼稚園の園長さんをされているとの事。


そこで早速二人でその幼稚園の前を朝の散歩ついでに行ってみる事にしました。


中学生時代の学園のアイドル、奥様の憧れの君に会ってみたいじゃあないですか⁉︎


すると幼稚園の門の前を、初老の職員が竹箒で掃いていました。


奥様がよ〜く目を凝らして見るとN君(さん?)です。


目があったので「Nさん、覚えてますか?.....A子さんの友達で中学生の同学年だった.....」と奥様が声をかけると、暫くキョトンとしていたが「あゝ!」と思い出したようです。


「これが私の旦那です」と私を紹介したので「ど、どうもどうも〜」としどろもどろの挨拶。


開園前で忙しいだろうから、少し話して「お互い健康に気を付けましょう」で別れました。


散歩中しばらくしてから奥様が「時は残酷だね〜」とつぶやく。


かつての学園のアイドル、4番打者がバットではなく竹箒持って「レレレのオジサン」をしていたのだ。


お互い変わり果てた姿に愕然。


50年ぶりの再会は時のギャップを埋めるのが大変である。

しかし、実に優しそうな園長さんのNさんでした。


私も話してみて気付いたのだが、何となく私と雰囲気が似ているのだ。(チョットニヤけたところが)


Nさんが中学で野球部の4番を打っている時、私は毎日美術部の片隅で絵を描きながらボーとしていたのだが、お互い家庭を持ち還暦を過ぎて人間円熟してくると似た様な感じになるのかもしれないですね。


実はA子さんも奥様に「なんか私達の旦那達って雰囲気似ているわね〜」と言っていたそうだ。


私は「初恋の人に似ていたとは光栄です〜」と奥様をからかった。


そんなNさんとの再会の話をケラケラ笑いながら話す奥様の声もコロナ禍の寒い冬の夜を暖かくしてくれました。


他にも「茨城のバアちゃん暴走編」や「義眼の家庭科女子先生の謎編」も良く思い出話に出て来るが、それはまた機会が有れば。

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