旅の反省会
遂にラスベガスに帰って来てしまった。
日本の優しい気候より、このドライなギラギラした気候が妙に合う。
ベガスに10年も住んでいる内に、砂漠の生物と化してしまった様である。
奥様は「今回の帰国の旅の反省会をしようと」言われる。
「あなたの反省点は何だったか?」と聞き返すと「空港でお菓子の『ひよ子』を買い逃した事」とおっしゃる.....。
携帯電話から解放されて、17日の休暇だったので、さぞかし美味い物食べてユックリして来たのだろうと思われるかもしれないが、そうでも無い。
どちらかと言うと日本でも仕事して来たような感覚だ。
大半は北茨城の田舎で一人住む92歳の義母の家いたので、毎日が掃除と介護の日々となった。
かなり「掃除の鬼化」したので充実感はある。
しかし「楽しかったですか〜?」「美味しい物、食べて来ましたか?」と聞かれると「アレ?何でウナギ食べなかったのか」とか「温泉行かなかったな〜」などと?マークが頭をよぎる。
交通手段は節約の為に高速バスを使い、夕食も5時を過ぎて安くなったスーパーの惣菜が中心だったので、どうも休暇としての満足感が無いのだ。(そこそこ美味しかったが)
悲しいかな貧乏性は中々抜けないものだ。
これではいけないと唯一参加した「日帰り紅葉狩りバスツアー」は、11月前半では紅葉しておらず、ただの足腰が疲れる山登りとなってしまった。
ただ、静岡の実家に行った時に見えた久しぶりの富士山と、兄嫁の作ってくれた名物静岡おでんは美味しかった。
甥の子供達(姪孫)と静岡おでんを囲んでの夕食であったが、やはり三世代が夕食を囲むというのは、ほのぼの温かく良いものである。
小さな姪孫を見ていると、何か「いのちの絆」の様なものを感じる。
校長先生をしていた兄が話すファミリーヒストリーに大変興味があったが、今回は静岡滞在が1日だけだったので残念ながらじっくりは聞けなかった。
徳川綱吉の時代から東海道の立場(大名行列などの休む場)があった家なので、大名や著名人、文化人との関係が深かった様だ。
先祖が清水の次郎長に貸した金の証文があるとは聞いていたが、どうやら御先祖様が勝訴していたとか、
家運のゴタゴタの原因が違う宗派の遺物があると言う事で、調べてみたら日蓮聖人の物が出て来たので日蓮宗のお寺から多数の高宗が引き取りに来たとか、
徳富蘆花の兄で、当時のオピニオンリーダーの徳富蘇峰が外国に咲く花を歌った掛軸の話とか、
「御先祖様がそれぞれの時代に起こる世の荒波を乗り越え頑張って生きて、家を繋いで来たからこそ今の自分が有る」とお墓参りで初代から十一代の父までの墓標を見ながら思った。
歴史好きなオジサンとしては兄の調べたファミリーヒストリーを詳しく聞きたい所ではあったが、また次回のお楽しみとしよう。
身体はアメリカの砂漠の生き物だが、心は四季の美しい日本にあるオジサンでした。