砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

六の宮の姫君 霊的事件 その3

今日はLAに帰って来ている。


奥様から「もう~姫とか霊の話は要らんわい! 明日の朝食用のパンが無いのが問題だ!」と言われたが、「パンが無いならパンケーキを食べたらどうか?」と心の中で呟きながら六の宮の姫君の話の結末を書くオジサンであった。


さて、手代木さんに憑依している霊が「六の宮の姫君の様な不甲斐ない女の霊」である事は先回のブログでお話しした通りであります。


しかし、どんな霊が憑いているかが分かっても簡単に離れてくれる訳では無いのです。


それ以降も手代木さんが感動しようとした時や、信仰的に啓発されそうになると、ヒタヒタとあの霊が取り憑いて何とも言えない諦めと悲しみの思いに駆られて気を失ってしまうのです。


はじめは驚いていた周りも、もう慣れてしまってバタンと倒れると、「ホイ来た!」って感じで4人ぐらいで(重くなっているので4人必要)部屋に連れて行かれて、気が付くまで横に転がしていました。


こんな状態なので大学が休みの時は教会のFボランティアなどで外に出る事も出来ず、もっぱらワークショップのお手伝いなどをしていました。


夏の頃でしょうか、あるワークショップの講義を聴いていた時、何時もの様に信仰的に感動しようとした時に、またあの悲しみと諦めの霊が憑依して何時もの様に気を失いました。


手代木さんは気付いてみたら部屋で寝かせていたのですが、相変わらずの悲しさと気怠さの中で手代木さんは祈ったそうです。


「あなた(憑依している霊)もこんな悲しく辛い思いをして可哀想な霊ですね。
何の縁か分からないが私に憑いているなら、私が貴女を救いたい!その悲しみから救いたい!
神様!どうかこの救われない可哀そうな魂を御救い下さい!」


するとパッと心の中に光がさして憑依していた霊が解放されて昇天して行くのが見えたそうです。
そして代わりに光に満ちた善霊が降りて来たそうです。
どうやらクリスチャンの女性の霊のようでした。


今までは「どうして私がこんな目に合うんだ! 何でこんな霊に憑依されなくっちゃいけないんだ!」と思いながら、憑依している霊にいくらかの恨みを持っていたそうです。


しかし、手代木さんが甘受して自ら責任を持って救いたいと思った瞬間、憑依した霊も解放されました。


死にかけている六の宮の姫君に法師が「往生は自力でするものゆえ、自分で阿弥陀仏を唱えよ」と言ってますが、霊の解放も信仰も自発的に成さなければならないものなのでしょう。


霊は自分と同じような立場、役割を持った人に憑くそうです。
自分が経験したのと同じような苦しみや立場まで追いやって、その人がその困難を乗り越えた時に憑依した霊も解放されるようです。


その後、彼女の背後霊が変わったのか性格、雰囲気が明るくなり、以前の手代木さんには見られない主体的な信仰と積極的な行動に何度か驚かされました。


一年程過ぎた頃でしょうか、既に僕はその教会の寮を出ていたのですが、渋谷の大盛堂で本を買って店を出ようとした時。
「〇〇さ〜ん」と大きな声がしたので振り返ると手代木さんでした。
彼女は明るく大きく手を振りながら元気に話しかけて来ました。


最初に会った男性恐怖症の平安時代の華奢な姫の感じではなく、少し太めになってしまったのでDr. スランプのアラレちゃんにそっくりになってました...。


でも、教会のボランティア活動を一生懸命頑張っているそうで、活き活きとしている手代木さんを見ながら「メデタシ、メデタシ!」と思った次第です。


人は時に何かに取り憑かれたように性格が落ち込んだり、不安になったり、怒りが込み上げて来たりすることがあります。
それは単に精神的問題のみならず、霊的な要素があるのかもしれませんね。


ちなみに手代木さん、梅宮教会長、伝道した矢沢さんも先祖はみな福島でした。


梅宮教会長の先祖はお坊さんを良く出した家系で、矢沢さんは若い時から乳母のような女性で、これもなんかの先祖の縁だったのでしょうか。


さて、明日の朝食用のパンを買ってくることにするか。

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