「罪と罰」
朝、会社に行くと部下の一人が「昨日”OJ “に会った」と言う。
「OJ???」
部下と肩を組んで写真に写っているオッサンをよく見るとO.J シンプソンだった。
昨夜 レストランで飲んでいたら偶然会ったらしい。
かつてのフットボール界の主役(スーパースター)であり全米を震撼かせた殺人劇の主役だ。
25年前ロスのハイウェイ10を何十台ものポリスカーとカーチェイスしたテレビ中継に全米が釘付けとなった。
オジサンもテレビで見ていた。
彼の元妻殺しは有名弁護士によって刑事裁判では無罪だが民事裁判では有罪となった男である。
そのO.J シンプソンと肩を組んだ写真を部下は自慢げに皆に見せるのだが、反応はさまさまだった。
「オー!OJもジジイになったな〜」
「まだ生きてたんだ。」
も言う者がいれば
「彼はキラーだ。見たくも無い!」と言う者もいる。
黒を白とするアメリカ司法の問題を語る者もいる。
「元妻殺しの罪に苦しむに違いない。」
「その内に天罰を受ける、あの世で裁かれるぞ」と言う者もいる。
一同に罪を犯したが罰せられる事が無いOJ に憤慨していた。
オジサンはその写真を見ながら、彼が罪の意識にさいなまれているとは思えなかった。
もし彼に良心の力があれば「罪と罰」のラスコーリニコフの様に独善的思考で殺人を正当化しようとしても、やがて良心の呵責によって自首の道を選ぶだろう。
だがOJのみならず最近の殺人事件を見ていると、この「心のコンパス」とも言える良心作用が著しく低下している様に思える。
金を貰えれば何でもする弁護士が悪いのかもしれない。
かつてのスーパースターが庶民的なレストランで飲んでいるぐらいなので、かなりの落ちたとは思えるが、見ず知らずのウチの部下と肩を組んで写真に写るようでは悔い改めには程遠いようだ。
「刑事コロンボのモデルになったポルフィーリィ判事のような人物がいたらOJを自白させれたかもしれないな」と思ったりして。
部下には「今度彼に会ったらドフトエフスキーの「罪と罰」を渡せよ」と言っといた。
ラスベガスには実に色んな有名人が住んでます。