砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

阿修羅像の眼差し

2年前帰省した時に東京国立博物館で「運慶展」を開催していた。
大変興味があり行きたかったのだが、無念にも膀胱炎にかかりそれどころではなかった。


兄夫婦が見に行ったので、写真集を見せて頂いたのだがその迫力と写実性に感動した。


13世紀の仏師である。
16世紀ヨーロッパ、ルネサンスの巨匠達も見たら、さぞかしビックリしたであろう。
ミケランジェロもひっくり返るかもしれない。


前になるがNHKの「歴史秘話ヒストリア」「興福寺 七転び八起 日本の文化はここで生まれた」を見ていたら運慶は興福寺再興事業に参加している、この寺には8世紀に造られた天平彫刻の傑作「阿修羅像」がある。


運慶はこの阿修羅像(八部衆)などから多くの事を学んだという。


興福寺の阿修羅像が人気が高いのは、あの独特な眼差しである。


奈良大学のプロジェクトチームが表情のAI分析をしたところ多くの仏像が「中立的な表情」に対して阿修羅像はより人間に近く「喜び」と「悲しみ」を含んだ表情だそうだ。


悪神から改心し、仏を守る軍神となった阿修羅の顔は右は少年期の反抗心、左は思春期の憂い、中央は迷いを断ち、未来に視線を向け、前に進む決意をしめす青年期を表しているいう。


興福寺の阿修羅像(八部衆、十大弟子像)の作者は仏師将軍万福です。
彼は滅亡した百済(朝鮮)からの渡来人であったらしい。
さらには彩色した画工の秦牛養は新羅からの渡来人であった。


これには少し驚かせられた。


当時朝鮮にはこんな高度な創作技術を持った人達がいて、日本に多くの事を教えてくださったのだろう。


彼らの詳しい記録は残ってはないが、こうした深い内面を表現できる芸術家は、深い深い心情世界を通過した人であったはずだ。


千三百年の時を超えて、いまだ私達を魅了するその眼差しは何かを語りかけているのだろうか。


さて、近年の韓国でも色んな像を創作する事がブームのようだ。


朝鮮の人々は古来から像を作るのにたけているのだろうか。


ロス近郊のグランデールでも慰安婦少女像を建てている。


残念ながら千三百年前の将軍万福の芸術性には遠くおよばない。


どうせ建てるなら、阿修羅像のように「迷いを断って、未来に進む決意を持った美少年」の像を建てて頂きたいものだ。


もし、慰安婦像を阿修羅像に変えてくれたら、オジサンも立ち寄ることを止めたグランデール市にも行ってみたいと思うであろう。

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