砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

野の花と空の鳥

何度ドライブしてもロスまでの4時間半の道は退屈である。

荒漠とした風景は1回2回で飽きてしまう。

しかし春が来ると、灰色の道の傍にマバラながら黄色い花が咲く。


タンポポだろうか。優しく暖かい黄色が何となく嬉しい。


僅かな野の花に春の生命の息吹を感じて喜ぶオジサンでした。


コーヒーストップに中継地バーストに寄ると白い鳥が飛んでいる。


どう見てもカモメだ。

ここも砂漠の町、海からかなり離れているのに何故カモメがココに!


しかも、飛び方が尋常じゃない。

まるで落し物を探しているように、焦りながら信号の上を右往左往している。

こんな所で群れから離れて何をしているんだ.......⁉︎


「何処の組織にも変な行動をする奴はいるもんだ.......」と思った。


まあ春だからな〜。


「野の花と空の鳥」と来れば主イエスの山上の垂訓が思い浮かばない訳が無い。


『空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。』


『また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。』


『だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。』


『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』

《マタイ伝6章》

求めるべき「神の国と義」とは何かを思いめぐりながら4時間ドライブするとロスの入り口にそびえる山々が見えて来た。


さて、今日は久しぶりに家族揃って何を食べようか。

×

非ログインユーザーとして返信する