砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

空(くう)の空(くう)

「空の空、いっさいは空である」

と聞けば仏教の言葉に聞こえるが、コレはソロモン王の言葉である。

空を「そら」と読んじゃいけないよ、意味がなさなくなるから。


釈迦より400年前、BC900年のイスラエルの王が「伝道の書」を残している。


その中で、栄耀栄華を極めたソロモン王は世の中の全ての楽しみを経験し、「人の行う全てわざを見たが、みな空であって風を捕らえるようである。」と述べているのだ。


彼もまた諸行無常の悟りを得ていたのである。


先日、YouTube でNHKの「100分de名著」で「般若心経」を扱っていたので勉強させてもらったが、聴いていながらこのソロモン王の「伝道の書」を言葉を思い出してしまった。


煩悩だらけのオジサンが深遠なる宗教の世界をブログで語る事はどうかと思うが、人生最終レースに差し掛かってくると「諸行無常」の言葉が何となく深みを増して来る。


般若心経では全てが空である事を悟った後に「真言を唱えよ」とある。(諸宗派により諸説あり)

この「伝道の書」の終わりは12章に「汝の若い日に、汝の造り主を覚えよ」....「すなわち、神を恐れ、その命令を守れ、これは全ての人の本分である。」と結んでいる。


最近、神仏を恐れぬ悪行が世に起こっている。

「主を畏れる事は知識のはじめである」(箴言1/7)とあるように、もう少し宗教性を高める教育が必要だと思う。


宗教的教育であって、宗派的教育は争いを生む危険性がありますが......。


昔の倫理道徳の授業も良かったな〜。

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