砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

高麗史

日曜の朝2時ごろにブシュ~と異様な音がバスルームがら聞こえてくる。 
隣の部屋のシャワーかなと思ったが、どうもおかしい。
寝ぼけながら洗面所を見てみると、床が水びだしではないか。
どうやらトイレのウォータータンクへのパイプの結合部分が破損したらしい。
元を止めて朝を待ってから修理屋さんを呼ぼうと思ったが、教会で会った会社のボスに話したら「その位、自分で治せるぜ!」と言われたので今日は水びだしになりながら日曜プラマーとなったオジサンであった。
「めんどくさいな~」とは思ったが自分で部品を買ってきて直してみると妙な達成感がある事は確かである。


さて土曜日と日曜日は「アンゴルモア元寇合戦記」にハマって9巻まで読んでしまった。
先回主力を担った朝鮮軍(高麗)についての話をしたが8巻で高麗が30年間モンゴル(元)と戦っていた事、その後モンゴル(元)に服従してからの歴史について描かれている。
マンガなので何処までがフィクションか分からないので色々調べてみると、どうやら史実通りのようだ。
朝鮮の歴史は本当に可哀そうな悲惨な時代が多かった。


朝鮮・韓国をコリアと呼ぶのは高麗が語源のようだが、日本と違い、半島なので常に大陸の強国の影響や支配を受けて来た。


高麗王朝の時だけでも国境を接している契丹に侵略され朝貢をして属国となる。
やがて高麗の宗主国である契丹を倒した女真族の金王朝に服属したり、宗の藩属国になったりする。
そして今度は金を亡ぼしたモンゴル帝国に朝貢というように大陸の強国に翻弄される。


しかしモンゴル帝国の支配力は強く、何度かの侵略に抗戦するが国土と国民は蹂躙され「野は骸骨が覆う」という惨状となる。


これが30年続いた後に忠烈王が方針を変えて「長い物には巻かれろ」というわけでモンゴルの属国化を目指して元のクビライの娘を嫁にもらい、忠実な僕となる。
それしか高麗王朝が生き延びる道は無かったと思うが、モンゴルの内政干渉を受けて国と言うよりモンゴルの一部となり完全支配下となる。


「高麗史」には忠烈王が日本侵攻を働きかけたと記述があるが、自らのモンゴル内の地位向上の為だったのだろう。
そして日本侵略の為に軍船建造の命令を受けるが、その為に経済と人材が失われた上に、2度にわたる失敗(文永、弘安の役)で国はボロボロになる。


そしてモンゴル帝国(元)が弱体して明が起こると、親元王朝をクーデターで倒して李成桂が李氏朝鮮を建てるのだが、李成桂は出身地や支持基盤から女真人ではないかとも言われている。
こうした絶えず大陸からの侵略にさらされる事は、大陸とは海を隔てて守られてきた日本人には理解出来ない事だと思う。


韓国、朝鮮の外交政策を事大主義という。
「小をもって大に事(つか)ふるは保国の道」という意味だが「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る考え」でもある。
要はジャイアンについて行くスネ夫君のような感じだ。


モンゴルのような非道な侵略国家にさらされれば「生き延びなければならない」のでしょうがないと思う。
韓国、韓国人の民族性を理解する上でこうした民族の苦難が日本帝国の統治下のみならず、もっと長い悲惨な歴史があった事を理解しないと分からないかもしれない。


戦後韓国を復興させた韓国の朴正煕元大統領は自著『国家・民族・私』で、「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」と述べている。
朴元大統領は朝鮮史における事大主義を自覚し、自著『韓民族の進むべき道』で韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」の一つとして事大主義を挙げ批判している。
                          ≪ウキペディアから引用≫


こういうプログを書くとますます読者へるだろうな~。先ず奥様が観ないだろうし。


ともあれ民族愛を高めるために反日教育をするのは辞めた方が良い。
恨みを教育しても何も生み出すことは出来ない。


一般的な人間関係でも心の底に恨みを持つ友人は、やはり深い付き合いは出来なくなってしまうものだ。


韓国は喜怒哀楽がハッキリしていて情が深い人が多いだけに、未来志向でお互い恨みを捨てて付き合えば本当に良き友人になると思う。

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