砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ケンチャナヨ文化

オジサンは韓国人とのお付き合いが多いほうだと思う。
昔、ロスのコリアン タウンに住んでいた事もあり、友達も多い。
もっともその時、ロスの暴動(1992年4月)が起こりコリアンタウンは銃声と焼き討ちの黒煙で修羅場と化した時である。


ロス近郊の日本人町だったエリアは幾つかあるが韓国人の人口が多いこともあり、次第にコリアン タウン化してゆく傾向がある。
その頃のロスのコリアンタウンも日本人のおばあちゃんが至る所に居た。昔は日本人が多い町だったようだ。


今、アメリカの寿司レストランも日本人経営より韓国人経営の方が多くなり、オジサンの顧客も韓国人の寿司シェフがかなりいる。
オジサンが思うに彼らのバイタリティーは凄い物があると思う。


日本人はビジネスとして成功するか市場調査を重ね色々吟味して出店を考えるが、韓国人オーナーはバクチ打ちの様に店を出してダメだったら夜逃げをするというケンチャナヨ(ダイジョウブ、ヘッチャラ、屁の河童)文化だ。


オジサンも何度泣かされた事か....。
金を払えないなら買うなと思うのだが「ケンチャナヨ!」なのだ。


ハッタリも上手い。「ビジネス レコードが無いので現金商売でお願いします。」と言うと「ライバル社は30日出すよ!ウチ売り上げは凄いよ!もっと安くしないと買わない!」と揺さぶって来る。


日本人の寿司シェフと韓国人の寿司シェフの違いも面白い。


日本人の寿司シェフはあまりしゃべらない人が多い。
「ごたごた言わないで、技と仕事で勝負だ。この伝統の寿司を理解出来ねえ奴は寿司食うな」という感じでだが、
韓国人シェフは実に「ごたごた言う」
伝統の技なんてケンチャナヨで、しゃべりとパフォーマンスでお客様を喜ばす。
食べるのが日本人ならともかく、多くのアメリカ人は寿司の味が何なのかさほど分からないので、分かり易くてパフォーマンスが良い方が人気が出てしまうのだ。
(最近はアメリカに寿司もずいぶん浸透して、味の違い、仕事の違いを理解する通の人も増えて来たのも確かだが)


マーシャル アーツ(武道)も同じ傾向があると思う。
むかしの映画だが「空手キッズ」がブームになった時は、日本の空手道場は多かった。
基礎を教え、精神的姿勢、修行と言った部分を強調し、ビジネス的傾向より武道を広めようという姿勢があった。


しかし、韓国のテッコンドー道場は全てでは無いと思うが、よりビジネス的傾向が強い。


オジサンの次男も近所にテッコンドー道場が出来たので通っていたが、それを強く感じて辞めた。(バスケットの方が公園でやれるのでお金がかからなし)


今ではアメリカでは空手道場よりテッコンドー道場がはるかに多いようだ。
空手ほど精神性や伝統にこだわらず、カッコよく分かり易いパフォーマンスがあるのが人気があるのだと思う。
ただ、不思議な事に何処の道場もワールド チャンピオンのトロフィーが飾ってある。
いったい何人のワールドチャンピオンがこの世に居るのだろうか。


しかしこうしたバイタリーは世界で生きて行くうえで日本人も身に着けて行く必要があるかもしれない。


日本人と韓国人を比較した話でこんなのがある。


日本人は世界に出て一人だけではダメだが、3人集まるとお互い協力し合ってものすごい力を出す。
韓国人が世界に出て1人でもガンガンやってゆくが、3人集まると自己主張が強すぎて喧嘩になりダメになる。


これは韓国の歴史性に理由があると韓国人の友人が言っていた。


韓国は他国からの侵略が多く、征服され国が消滅するような戦乱が多かったので「生き残る術」として、日本人の様に右に行けと言われれば団結して右に行くことは無いそうだ。蜘蛛の巣を散らすようにバラバラに逃げるのだ。
一つの方向に逃げて、そこに爆弾が落ちれば全滅だが、バラバラに逃げれば誰かは生き延びると言う事だそうだ。
だから、あまり人の言葉を聞かない。


さて、次回はオジサンの学生時代までさかのぼり、オジサンの韓国人観に大きな影響を与えてくれた三人の友人のエピソードをブログしようと思う。









日本と韓国の歴史は古く、また長い。
先回は高麗史について書いたが、更に古くは

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