砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

アンゴルモア

「最近ブログを怠けているね」と友人に言われたが、怠けている訳では無い、サボっているだけだ。
7/4の独立記念日も何をする訳でもなくゴロゴロしていた。
ロスでは奥様と息子達が映画を観に行ったようだが、オジサンが観るために腰を上げようと思う映画は無かった。
Yuetubeやネットで色々と探したがピンと来るものも見つからなかったが、『アンゴルモア 元寇合戦記』に目が留まった。テレビアニメ化されるようだ。
原作をE-ブックで読んだがなかなか面白い。(まだ3巻)


元寇を扱った作品は幾つかあるだろうが、対馬での戦いをメインにした作品は初めてかもしれない。
3巻まで読んだが、同時にこの対馬での戦いを色々ネットで勉強してみた。


ウイッキペヂアから元寇の対馬侵略の部分を抜粋してみた。


『八幡愚童訓』によると、対馬守護代・宗資国[139]は通訳を通して元軍に来着の事情を尋ねさせたところ、元軍は船から散々に矢を放ってきた[138]。そのうち7、8艘の大型船より1,000人ほどの元軍が上陸したため、宗資国は80余騎で陣を構え矢で応戦し、対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍と思しき人物を射倒し、宗資国自らも4人射倒すなど奮戦したものの、宗資国以下の対馬勢は戦死し、元軍は佐須浦を焼き払ったという

この時の対馬の惨状について、日蓮宗の宗祖・日蓮は以下のような当時の伝聞を伝えている。
この文書は、文永の役の翌々年に書かれたもので、これによると元軍は上陸後、宗資国以下の対馬勢を破って、島内の民衆を殺戮、あるいは捕虜とし、捕虜とした女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立てた、としている。


この時代、捕虜は各種の労働力として期待されていたため、モンゴル軍による戦闘があった地域では現地の住民を捕虜として獲得し、奴婢身分となったこれらの捕虜は、戦利品として侵攻軍に参加した将兵の私有財として獲得したり、戦果としてモンゴル王侯や将兵の間で下賜や贈答、献上したりされていた。



ひで~事するな~! 生きたまま船壁につるしたとも言われているが矢避けにしたらしい。
さてこの元軍であるが蒙古、漢、高麗の連合軍であった。


すでに元に屈服していた朝鮮の高麗王の忠烈は、どうやら日本の侵略をフビライに進言し、高麗軍が侵略の主力の一端を担っていた訳である。(まあ抵抗できなかっただろうが)


世界最強帝国の元に日本が如何に立ち向かったかは歴史的事実として理解してゆく必要がある。
しかし、オジサンとしてはこのストーリーが進み、モンゴル、中国、朝鮮(韓国)の日本への侵略と虐殺がクローズアップされて来ると、またいらぬ歴史問題を引き出してくる輩が現れて来ぬかと老婆心をもってしまう。


韓国の前大統領の朴槿恵が「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」と要らぬ事を言った。


確かに元寇で日本侵略の片棒を担いだ韓国、朝鮮は加害者である。しかし、元に屈服するまで約30年間に元の侵略を受けて国土を荒廃されられた被害者でもあった。


元に屈服する事を良しとせず最後まで珍島で抵抗していた三別抄の朝鮮軍(実は日本にSOSの書簡を送っていた)もあったが、世界最強帝国を前に高麗も南宋もどうしようも無かったであろう。


世界史を見るとヨーロッパの100年戦争なども悲惨な戦争であったし、何処にも戦争の血と涙が流れていない国は無いだろう(カナダは無いとカナダ人は言ってたが)。


しかし、それを1000年恨みに思う国は稀だと思う。


オジサンは仕事上でも韓国の人と付き合う事が多い。


最近の寿司屋は韓国人が実に多いのです。
近くて遠い国、似てるようで違う国、韓国。
すごく素敵な人と、困っちゃう人もいる韓国人。


次回は少しオジサンの韓国人とお付き合いストーリーをブログしてみようと思う。

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