砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ちらし寿司と桶寿司

今日は奥様とトーランスの”WADATSUMI”にランチに行った。トーランスと言えば米国トヨタの本社があった場所だが段階的にダラスに移転するので、「かつて程は人が出ていないだろう。」と思って行ったが雨の今日でも満杯であった。
オジサンは”駿河湾の桜えびのかき揚げとソバ”、奥様は”海鮮丼”だ。奥様は「ご飯は寿司飯にしてください。」と店員さんに頼んだ。海鮮丼とチラシ寿司はご飯が白米か寿司飯の違いなので、オジサンは「それチラシ寿司じゃん」と心の中で思った。オジサンが食べた桜えびは昔地元では庶民の食べ物のど真ん中であったが、こちらでは今や高級品だ。


チラシ寿司を見ていると我が先祖の稼業を思い出す。
オジサンの先祖は旧東海道の宿場にあったと前のブログに書いたが、どうも寿司を作っていたようだ。
オジサンの今の仕事もお寿司屋さん相手なので、寿司の歴史などを調べた事がある。
寿司にも色々ありますが、ここでは桶寿司である。駿河の桶寿司については色々なブログがあるので詳細は控えるが、ざっくり言えば「ちらし寿司」の事です。


http://uotakesusi.eshizuoka.jp/e775463.html


話を簡単にまとめると、東海道を通る大名が駿府府中から江尻(今の清水)の間の御休憩地として立場が設けられた。立場本陣とも言うが宿泊施設では無く休憩所である。ここで桶寿司を出したら評判が良かったそうだ。立場の稲葉屋さんに来られた長洲毛利の殿様がアッパレアッパレと言う事で「長門寿司と名付けよ」となったらしい。明治に入ると天皇陛下も御休息されたようだ。
先回出した歌川広重の絵に描かれているのが稲葉屋さんであるが、オジサンの御先祖さんの家はその隣に位置していたのでわずかに屋根だけ見えている。(個人的見解です)


実はオジサンの実家にもこの「桶寿司」の古い看板がある。
実家は仮立場本陣だったようで、稲葉屋は大大名、大名用でオジサンの実家は小大名用に使われていたようだ。東海道中膝栗毛に出てくるほど「桶寿司」が評判なので、稲葉屋さんにお願いしてコピー商品を作らせて頂いたのかもしれない。
オジサンの先祖の姓も元々は違っていたが休息に来られた御殿様が「アッパレアッパレ!我が城の名を名のるが良い」と言う事で、今の姓を使っている。
家康が鯛の天ぷらを食べて死んでしまった城のお殿様と言えば歴史好きの方はお分かりであろう。
多角経営で農業、高利貸しなどもやっていたようだ。日本の歴史に詳しい先生が言うには「大名家の休息所は幕府も家系を調べるので農民出では立場本陣の許可を与えない、元々は武家の出ではないか」という。
あの辺は今川、武田、徳川と勢力が変ってゆくので土着の武士団の中には、嫌になちゃって武士を放棄して農業や商売の方に変身していった者達がいたようだ。14代まではさかのぼれるが、その前のルーツ探しも定年後に時間があれば調べてみたい気もする。
家紋が「菱の違い鷹の羽」と言う特殊な物で家紋の本にも見当たらないオリジナリティがある。昔、叔父が京都と静岡に一家系づつしかない言った事を覚えている。
菱が武田を表すか定かでは無いが、せめて鎌倉時代ぐらいまで遡ると色々面白いものが出てくるかもしれない。しかし、簡単に分かっても面白くない。謎を解くのも歴史ロマンだ。
そんな事を、奥様がちらし寿司を食べる姿を見ながら想うオジサンであった。


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