砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

キンカンとヤギ

先回、ロスに帰った時、奥様からキンカンを渡された。中国のある地域では旧正月になるとキンカンなどを玄関に飾るそうだ。
ググってみると毛細血管の強化、血中コレステロール値の改善、血流改善、抗アレルギー、発がん抑制など大変ありがたい旬の果物だ。
面白い事に1826年に中国(清)の商船が遠州灘で遭難し清水港に寄港した際、船員のお礼として貰ったキンカンから日本に広まったらしい。
オジサンの故郷と関係があるとなるとより一層ありがたく感じる。


キンカンを見るのも食べるのも久しぶりだ。40年ぶりかもしれない。
食べると口の中で甘酸っぱい味が広がる。その刺激的な味が昔の記憶を呼び覚ました。


キンカンは静岡の実家の庭に生えていた。農家なので母屋と蔵、家畜小屋にコの字に囲まれて庭と畑があったのだが、いま記憶に残るのはキンカンとヤギである。
他の野菜や木々の緑の中に、ちらつくキンカンの実の色が印象的であった。
家畜は色々いた。豚と鶏にヤギ、犬や猫、昔は馬も飼っていたようだが記憶には無い。


実はオジサンはこのヤギにギルティを感じている。
昨日のブログと関連するが、オジサンも息子達と同じで勉強のスイッチが見つからなかった一人で、今思えば自分でも不思議なほどバカだった。
勉強する意味も必要性も感じながったからか小学校の時はひどい点数を貰っていた。
思い返してみても勉強する事に頭を使っていた記憶が無く、学校から返された零点とか10点前後のテスト用紙を如何に隠滅するかに頭を使っていた。


庭の柿木の近くに枯葉を燃やすところがあったが、ここで燃やすのは何故か良心の呵責を感じたので、思い付いたのが近くで草を食べているヤギに食べさせると言う方法だ。
「白ヤギさんからお手紙着いた。黒ヤギさんは読まず見食べた。」と言う童謡を思い出したのだ。   そう、ヤギは紙を食べてくれるのである。


燃やすのも食べさせるのもさほど変わらない行為と思うが、「あ~ヤギが間違えてテスト用紙を食べちゃった~」と責任をヤギに押し付ける方を選んだのだった。
(コズルイやっちゃ)
メエ~かウメ~と鳴いたか覚えて無いが、ヤギは零点の意味も解さずに良く食べてくれた。オジサンはこのヤギを大変ありがたく思えた。


犬もネコも可愛かったが、オジサンの秘密を共有してくれるヤギこそが友であった。
しかし、ある日学校から帰ってヤギにエサ(?)をあげようと小屋に行くとヤギが居ない....。ナント!天に召されてしまったのであった。


父と母の会話が気になった。
「なんで死んだのか原因が分からねえ~、変なもんでも食ったかな?」「ウ~ン 不思議だ~」


オジサンは顔に青い縦線が入った(ちびまる子ちゃんの世界)。
「ヤッパリ零点のテスト用紙はヤギの消化に良くなかっただろうか⁉」「せめて35点だったら死ななかったかもしれない」などどバカなことを考えていた。


「もしかしたらヤギの死体に丸いゼロの斑点があったら、どうしようバレルかもしれない」などとお世話になった友の死より、死因を探られる事を恐れた。
罪深い少年時代のオジサンであった。


今日はキンカンを食べながら、昔の友の冥福を祈った。

《友よ安らかに眠れ》

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