砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

家出少年 A

今日は最高に天気が良かったので、裏山の国立公園に散策にでも出かけて、その写真をブログに乗せて軽く終わろうと思ったが、奥様が昨日のヤギの話が気に入られたようなので、ヤギが天に召されてからの話をキンカンをかじりながらすることになった。


ヤギの友を失ってからもオジサンの成績が良くなった訳では無かった。
兄と弟は成績が良かったので問題はなかったが、オジサンの成績は調子が悪かったので母が一緒についてスパルタ勉強をする事になった。
母の事を「お母ちゃん」と呼んでいたが、農作業で疲れているのに晩飯を作った後に子供の勉強を見るのは大変だっただろうなとつくづく思う。
ましてや出来の悪い子供を教えるのは骨が折れる。
今思えばお母ちゃんには大変苦労を掛けて申し訳ない思いだが、当時は修羅場であった。


細かい勉強内容は覚えていないが多分算数だった。始めは優しく教えているのだか、あまりにも計算が出来ないとヒート アップしてくる。
そのうち「バカ!」とか「なんでわからないの!」が出て来て「そんなに勉強が嫌いなら出てけ~!」となる。
そしてトボトボと夜の家出をするのである。


家出と言っても田舎の村なので行く当ては無い、おばさんの家も小学生の足には遠いし夜は怖い。なので道の沿いの店の物陰に身を隠してうずくまる。
一時間ぐらいするとお母ちゃんの怒りも収まり家族で探し始める。「OO!何処だ~帰って来な~」と声が聞こえるが急に出たら家出人の立場が無いのでしばらく待つ。
すると兄がバタバタと前の道を走って行く、心あたりの友達の家にでも探しに行くのだろう。
暫くすると、お母ちゃんのずいぶん優しくなった呼ぶ声がきこえて来て、さも偶然を装ってブラ~と物陰から見つかるように出て行くのである。
家に連れ帰られると家族全員が異常に優しくなっている。「ミカン食うか?」と食べ物まで出てくる。気を使ってくれているのが痛いほど分かるのだが、しばらくはうつむいてベソをかいている。家出人としての立場があるからだ。
そんな事を3回繰り返したことがあった。見つかるまでの時間が長い時はヤギが死んでから犬小屋となった納屋で一晩過ごそうと思った事もあったが、犬も迷惑そうだったのでうまく発見されて家出は終わる。
本当にバカな少年時代だった。漫画とテレビと絵を描くことぐらいしか興味が無かった。
中学もパッとしなかったが、高校の時、担任になった世界史の先生に随分可愛がられている内に、先生に喜んでもらいたいと思い、テストの前に一生懸命暗記した。
歴史は考えると言うより暗記力が物を言う。特に教科書に太字になっているところは覚えれば良い。山川書店の歴史の教科書を丸暗記して、チャート式の参考書まで暗記した。


他の科目はアヒルの体操だが(1.2.1.2)歴史だけは5を取れた。
まわりも驚いたが、自分が一番驚いた。「自分もやれば出来る」と分かったのだ。
数学、英語はすでに取り返しが出来ないぐらいダメだったので、世界史と国語で勝負できる大学を受験し、ナントか浪人してから大学まで進めた。


親も「この子はこんなに勉強出来なくて、世の荒波の中で生きて行けるのかねえ」と随分心配されたが、まあ何とか働き、家族を持ち、無事60歳を超えて、ささやかな幸せを手にする事も出来た。あの先生との出会いがあったおかげだと思う。


今はオジサンの暗黒の青少年時代は笑って話せるようになったが、当時は本当に親不孝であった。
今思うにオジサンは学習障害があったと思う。4と7の違い、左と右の認識にドツボに入り、頭が混乱する時期があった。
学習障害の定義は「基本的には全般的な知能発達の遅れは無いが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論などのうち特定のものの習得と使用に著しい困難が伴う」
と言うものだが、著名人の中にも学習障害を持っていた人はたくさんいる。


Apple創業者のスティーブン ジョブズ、Microsoft創業者のビル ゲイツ、楽天の三木谷氏、ケネディ大統領、エジソンにアインシュタイン、黒柳徹子、ウォルト ディズニーと挙げたらきりがないが社会生活に支障を来す問題ではないと言う事だ。


しかし、学校生活では他の生徒とちょっと違い同じカリキュラムについて行けないので大変苦労するのである。
織田信長も坂本龍馬も学習障害だったようで、幼少時代は「うつけもの」と呼ばれていた。

「誰でも天才だ。だが魚を木登りの能力で評価すれば、魚は自分をバカと思い込んで一生を過ごすことになる」―アインシュタイン


オジサンの場合、歴史の先生と出会い、勉強し、自信が持てた事から徐々に勉強の面白さもわかってきた。
担任の先生が何か特別にしてくれたわけでは無いが、名前を呼び、気にかけてくれ、成績が少し上がると一緒に喜んでくれた事だが、それがモチベーションとなりスイッチが入った。


「凡庸な教師は教える。良い教師は説明する。
優秀な教師は例を示す。偉大な教師はインスピレーションを与える。」

       著名な教育哲学者ウイリアム アーサー ワードの名言だ。
精神科医で教育評論家の和田秀樹は
「多くの小中学生は勉強で悩んでいるが、一度でも真剣に勉強して良い成績を出すと、嬉しくなってものすごく自分を深めていく。それがモチベーションを高め、その後の勉強だけでなく、運動でもほかのことでも自然に伸びていくという子が多い。どんな形であれ、成功体験を持つことはとても重要なのだ」と述べている。


このインスピレーション、モチベーションを子供に教える事が出来るかが問題だ。


この前ネットに20年後に無くなる仕事の一つに教師が乗っていた。
確かに知識を教えるだけなら有名教師のビデオで十分だがインスピレーションやモチベーションを与える事は出来ないだろう。かえって教師の人格、人間性がより重要視される時代になるかもしれない。
かの家出少年Aは学校では最後まで英語はダメだったが、今はアメリカで英語を使いながらビジネスをしているのだから人生分からないものである。


今日は日曜日なので、恒例のオジサン風ひれ肉のガーリック焼きディナーを料理した。

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