砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

防人の歌

ロスからベガスに帰ってきた。


「この単身赴任生活が何年続くのかねえ~」と奥様の嘆きに、答える事も出来ずにサンバラディーノのCajon Junctionの峠を越えるオジサンであった。

Cajon Junction


荷物を車に入れるのを手伝ってくれた2人の息子に「お母さんの事を頼むよ。勉強も忙しいだろうけど手伝いよろしく」と伝えるのも毎度の事となったが、いとさびしい。


なんか単身赴任が防人か屯田兵に思えるのはオジサンだけであろうか。


万葉集の中にある防人の歌を思った。


足柄(あしがり)の、み坂給はり、返り見ず、我れは越(く)え行く、荒し夫(を)も、立(た)しやはばかる、不破(ふわ)の関、越(く)えて我(わ)は行く、馬(むま)の爪、筑紫(つくし)の崎に、留(ち)まり居て、我れは斎(いは)はむ、諸々(もろもろ)は、幸くと申す、帰り来までに                       倭文部可良麻呂(しとりべのからまろ)
現代語になおすと

足柄(あしがら)の坂を通り、振り向かず、私は越えていく。荒々しい男でさえたじろぐ不破(ふわ)の関を越えて、私は行く。筑紫(つくし)の崎に留まって、私は慎み守ろう。(故郷の)みんなが幸せであるように祈ります、私が帰って来るまで。


防人は朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の敗北で北九州防衛のために徴収された兵士だが、主に東国の人達が多かったようだ。防人の歌の中には足柄の地名が何度か出て来るが、オジサンの故郷の駿河と相模の国の間にあるこの足柄峠を涙ながらに超えて行ったのだろう。


オジサンは最低月1回はロスの家に帰るので、故郷に帰るか帰れないか分からない防人と比べては申し訳ないが、家族と別れるのはつらいものである。
まあ、仕事だからしょうがないのだが。


そんな訳で古代人(?)の防人たちの心と通じるオジサンなのです。


『私は行く。筑紫(つくし)の崎に留まって、私は慎み守ろう。(故郷の)みんなが幸せであるように祈ります、私が帰って来るまで。』
なんて読むと、胸がジーンと来ちゃいます。


私は行く。ベガス(罪の町)に留まって、私は(ギャンブルやその他もろもろから)慎み守ろう(清く正しく)。家族のみんなが幸せであるように祈ります、私が2週間後に返って来るまで。』
と置き換えちゃったりして。


あ、奥様の心を歌ったモノもありました。
防人(さきもり)に、行(ゆ)くは誰(た)が背(せ)と、問(と)ふ人を、見るが羨(とも)しさ、物(もの)思(も)ひもせず


現代訳すると
「防人(さきもり)に行くのはどなたのだんな様?」と何の悩みも無く聞く人を見るとうらやまし   読み人知らず
仕事だからしょうが無いが、やっぱり家族は一緒が良いなと思うわけです。

奥様の握ってくれたオニギリを食べながら運転中、古代人と心を通わせる月の夜でした。




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