砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

衆愚政治

最近、学生の頃学んだ歴史のある言葉が頭に浮かぶんですよね。(歴史オタなので....)

「古代ギリシアの衆愚政治」の事だ。


紀元前5世紀アテネでは民主制の合意形成に失敗し、リーダーシップの欠如から、様々な政策が停滞したり愚かな政策が実行される。

例えば偏見から来る信念や不安からの逃避、直面する現実の困難や不快さの回避や意図的な無視。

原理原則よりも状況次第の他人任せな機会主義、課題の先延ばしなどによって理性的、合理的な意思決定が出来ない政治状況を指すそうだ。


社会的判断力が不十分な多くの市民が意思決定に参加する事で議論が停滞し、煽動者の詭弁に誘導され、合理的では無い政策執行に至る事もある。

デマによる心理的同調、イメージ操作による怒りや不安、嫉妬、偽善的大義、さらには利己的な欲求により国家が弱体化し不利益を被るわけだ。


アテネが衆愚政治に陥ったのはアテネを繁栄に導いた大政治家ペリクレスの死後、リーダーシップを失いアテネは衰退化する。



二千五百年前の民主政治の失敗例ですが、現代にも大きく教訓となる事例ですね。


特に今の世はSNSの発達によって誰でもが自分の意見を発信出来ます。

それ自体は良い事なのですが、SNSによる気まぐれな群衆心理により国政を左右する悪質なデマやイメージ操作は衆愚政治に落とし入れる可能性が高まりますよね。


自分の名前や顔出しで自分の意見を発信するのは責任がともないますが、正体が分からないワイワイと批判や非難が溢れている現状には顔をしかめます。


アメリカも衆愚政治化しつつありますが、日本もかなりヤバイなぁ〜と思う時ありますよね。


SNS (ソーシャル ネットワーキング サービス)だけでは無く、テレビも情報を操作する煽動者になりかねない。


随分前に文化放送の武田鉄也「今朝の三枚おろし」での話だが、アメリカ人が日本のワイドショーなる物を見て驚くそうだ。

政治や法律の専門家でも無い芸能人(コメディアン、アイドル)が時事問題を感情論でコメントする。

結論ありきで、なぜか独特の低い声のナレーションで不安やオドロオドロしさを演出。

更にショッキングな場面では画面の端の四角い枠にに、芸能人の驚く顔を映して同調心理を助長。


ワイドショーの多くは野次馬根性を刺激するものだったり、お茶の間で政治家批判をする事で自己優越感を与える物なので見る方も見る方なんですがね。


こちらで言うタブロイド紙のテレビ版です。


第四権力と言われるマスメディアのあり方も衆愚政治に大きく影響を与えます。


何千年前の過ちを繰り返してしまうのは人間の性(サガ)、あるいは業が深いからでしょうか。


ギリシャの衆愚政治を嘆いたプラトンは正しい政治哲学を持った「哲人王」の思想を語った。

現代的に言えば正義のヒーローの登場だ。


民主主義社会では民衆の倫理観の向上、政治知識と社会意識の向上という土壌が育たないと、強いリーダーシップを持ったヒーローは出て来ないですね。


プラトンは現代の国々の政治を見て、どんなコメントをするかなとフッと思った次第です。



「思慮を持ち正義をかざしてその生涯を送らなければ、何者も決して幸福になれない」

      プラトン

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