砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

それでも、生きて行こう。

ネット配信で「ドライブ マイ カー」をやっていたので観ました。



前にブログしましたが、この作品がアカデミー賞、国際長編映画賞を獲得した時、映画の原作である村上春樹氏の「女のいない男たち」を買って読みました。



「ドライブ マイ カー」はその短編集の中の一つですが、他の短編のストリートも上手く織り込みながら3時間近い長編映画を完成されています。


正直な話し、本を読んだ時にあまりピンと来ず、何でこのストリートがそれ程評価されたか疑問でした。


しかし映画は原作に出てくる登場人物を使いながらも、物語を上手に膨らませメッセージを伝え、見応えのある作品に仕上げていると感じました。


役者さん達の演技も素晴らしかったです。


さて映画ではチーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が作品の軸となっている様に思えました。


この戯曲ではそれぞれの登場人物が何らかの課題を抱えながら、ロシア社会の環境と厳しい苦悩の中でも「それでも生きて行こう」という覚悟で幕が閉じます。



「ドライブ マイ カー」も主人公は妻の不倫と言う秘密を残して死別された後に、本気で話し合えずに平穏な関係を崩す事を恐れ演技して生きて来た事を後悔します。


この映画でも登場人物それぞれが何らかの苦悩、喪失感を抱え、それにどう向き合って生きて行くのかに葛藤しています。


そして結論は戯曲「ワーニャ伯父さん」の終幕で、伯父さんが生きる事の苦悩をソーニャに訴えた時に、優しく語りかけるソーニャの言葉の中にあります。


「仕方ないわ、生きて行きましょう、ね、ワーニャ伯父さん。

長い長い昼と夜をどこまでも生きて行きましょう。

運命が私達に下す試みを辛抱強く、じっと堪えて行きましょうね。

年を取っても休まず人の為に働きましょうね。

そして時が来たら安らかに死にましょう。

あちらの世界に行ったら苦しかった事、泣いた事、辛かった事を神様に申し上げましょう。


-------私、信じているの。

伯父さん泣いているのね。でも、もう少しよ--。」


このソーニャの言葉はどのまま「ドライブ マイ カー」の伝えたいメッセージだと思いました。

(映画のクライマックスの方でもこのメッセージをソーニャ役の役者が韓国手話という方法で伝えています)


最後の方で主人公に「それでも僕達は生きて行かなくっちゃいけない。大丈夫、僕達はきっと大丈夫だ」と語らせています。


特にコロナ パンデミックの中での閉塞感と喪失感がこのメッセージに共鳴したのかなと思いました。


医者でもあったチェーホフは苦悩が人間を人間に成長されると考えていた様で、苦悩の無い人生はあまり尊重していなかったようです。


×

非ログインユーザーとして返信する