ヘソの緒と母子手帳。
今回の帰省は本来は母の一周忌でした。
兄の葬儀が終わると兄嫁から母の形見分けを選ばせて頂いた。
多くが婦人物なので弟の家族と共に、女性陣が頑張ってくれた。
昔の人は本当に物を大切にしており、母のお嫁入りの衣装らしき物も出てきた。
「母子手帳と臍の緒は持っていって下さいね」と渡して頂いた。
木箱の中にはヘソの緒と髪の毛が入っていました。
母子手帳は何か懐かしい。
小学校1年生の時、教室に誕生日を張り出すのだが、どうも自分の誕生日が1月か2月か曖昧だった。
母に聞いたのだが、農家の大家族の食事を作るのに忙しい母にスッとぼけた質問をしたので「押し入れにある母子手帳探して、自分で確かめな!」と怒られた。
母子手帳見るとあの時の光景を思い出す。
旧家である我が家では家族の誕生日を祝う風習はなく、めでたいのは盆と正月のみだったので覚え難かったのかもしれない。
母子手帳のページをめくってみると記述は出産の5ヶ月前辺りからあり、産婆さんの名前、誕生後の健康状態や予防接種などが書かれてあった。
なんか不思議にジーン来るものがある。
ヘソの緒は母との繋がりの証だ。
初めて見た気がする。
小学生の頃に兄から「お前は橋の下から拾われて来たかもしれない」と言われたのがフェイクニュースだった確証を得れた。
ヘソの緒は御守りや薬にするなど色んな風習があるが、母との生命の繋がりだった物なので捨てる訳にはいきません。
「生命力に繋がっていた物なので、それを失くすと病弱になったり、物覚えが悪くなる」と言う言い伝えもあるそうだ。
ちょうど最近、物覚えが悪くなって来ているので、手元に戻って来て良かった。
ヘソの緒は先祖からの「生命の絆、パイプ」ですから大切にしないといけないですね。
他界した兄が生前、「大人の自由研究」と題して先祖の事を色々調べていた。
兄で12代目となるが、初代が亡くなったのは1687年となると5代将軍綱吉の「生類憐みの令」が出された年だ。
その後も富士山宝永大噴火や天明大飢饉を乗り越えて、明治維新後は日清、日露戦争そして先の大戦を乗り越えて「生命の絆、パイプ」が繋がって来たと思うと感慨深い。
この先も時代を超えて、その生命の絆を繋いで行きたいものです。