梨を供える
果物のコーナーで梨を見つけた。
アメリカではこのタイプの梨は珍しい。
母の俳句集の中に梨が入った句があった様な気がして、三つばかり買って帰った。
家に帰って調べてみると梨の句は見つける事は出来なかった。
なぜ梨が母と繋がったかと言うと、母のふる里に梨畑があったからです。
母の実家は隣りの清水市なので、小学生の頃は良く母に連れられて行った。
大きな農家で、道を挟んだ正面に梨畑があった。
新鮮な梨を畑からもいで食べさせて頂いたので、母のふる里は何故か梨と共に思い出される。
(その家の女の子が梨に穴空けて塩辛詰めて食べていたらと言う、インパクトのある話を兄から聞いたのも原因)
余談ではあるが梨は弥生時代の登呂遺跡からも種が見つかるぐらいに駿河では昔から食べられている。
アメリカでは西洋梨が一般的ではあるが、アメリカの商店で見るのは珍しく、英語名はアップル ピア(Apple Pear)とあった。
母の葬儀には出れないので、この梨を祈祷台に供えた。
ある人によれば亡くなって3日程は地上にいると言う。
「母はふる里にも行ったのだろうか?」と供えた梨を見ながら思った。
母の俳句集には母の里や、母の母親を想う句がいくつかあった。
「ふる里への 近道いそぐ 夏の雲」
「秋日さす 小道なつかし 母の里」
「遠花火 母を訪ねし バスの中」
母の里の梨とは比べ物にならない梨ではあるが、味にうるさい母もまあ勘弁してくれるであろう。
母の喪に 供え想う ふる里の梨