砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ワクチン接種。

今日はファイザーのコロナワクチンを打ってきました。

ワクチン接種の危険を主張するネガティブな記事を読みながら、接種するか否か迷っていました。


すると社員のジーナさんがワクチン オンライン予約の情報を持って来て「アナタがワクチン接種して大丈夫だったら、私も予約する」「You are the first !」と背中を押されてしまった。


1週間後ぐらいかと思いきや今日出来ると言うので昼休みにワクチン会場になっているネバダ大学に行った。


医療関係の学生達が実にテキパキとワクチン接種作業をこなしていた。


接種を受ける人達が不安を感じないようにか、実に優しく丁寧であった。

会場についてから10分程でワクチン注射を打って、会社に帰り通常業務をこなした。


注射された所に若干の痛みは有るが大した事は無い。


これからワクチン接種する人も、ワクチン拒否派の人達も「どうだった?どうだった?」と顔を覗き込んで興味津々である。

「うーん、ちょっと怠くって、ボーとするかな〜」と答えると「それは通常の君と同じだよね」とボスがツッコミを入れて来た。


今なら仕事のミスもワクチンの後遺症のせいに出来るかもしれない。


まあ、ワクチン接種には色んな意見が有るが、コレは2、3年経ってみないとまだデータ不足で判断できないだろう。


「DNAが破壊される」と言う人もいるが60を超えて、その心配はさほどして無い。

奥様は「もうDNAは加齢で破壊されているわよ!」と言う。

コレから子供を産むような年齢の人は避けた方が良いかもしれませんね。


ワクチン注射を受けてる時は、近代免疫学の父ジェンナーの事を考えた。


天然痘ワクチンの開発者である彼は牛痘種痘法を子供達(最初の子は自分の子では無かったが)を実験台としてワクチンを研究開発しました。


最初は学会は認めず批判もありましたが、そのワクチンの効果と成果が認めてられ、彼の功績はやがて世界から天然痘を撲滅します。


よく今回のコロナ ワクチンも「正式に認可された物では無い」と言われますが、ジェンナーやパスツールのワクチンも始めは認可された物では無く、ウィルスに苦しむ人達を救いたいと言う医者としての使命感からの研究でした。


武漢ウイルスがニューヨークに広まった当初、遺体を置く所も無い程の(ペストの再来を彷彿される)惨状を目の当たりにすれば、政府が緊急事態としてワクチン接種を押したのも納得します。


因みにニューヨークで最初に惨劇が起こったのは長男のフィアンセが住むベルベデア周辺です。




「ワクチン」と言う言葉はジェンナーが研究に使った牛のラテン語読み「Vacca」に由来し、ジェンナーを尊敬したパスツール(狂犬病ワクチン開発者)が名付けたそうです。


ワクチンの研究は実に難しい物だそうです。

多くの実験とデータを得て、より効果があるワクチンが作られます。

ジェンナーと子供達も最初のワクチンを接種する時はかなりの勇気が必要だったでしょう。


少々のリスクがあるなら、まず年配者が実験台になるぐらいの覚悟が必要だと、今日ワクチン打たれながら思いました。


今の時代、さすがに未来ある少年や若者を実験台にする事は出来ませんよね。


「進撃の巨人」の「心臓を人類に捧げよ!」ではありませんが「ワクチン研究に少しでも役に立てれば、この老体を捧げましょう」と思い接種後の身体の状況を毎日オンラインでレポートしてデータ収集に協力してます。


2回目の接種は2週間後、もっと痛いと言われてます。

しかし、ジェンナーと実験台になった少年達の勇気を思えば何でも無いかな。

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