砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

地上の星

レストラン オーナーと話しをしていたら「ところで、あのセイント(聖人)はどうしている?」と聞かれた。

「???.....」


初めは誰の事か分からなかったが、このオーナーがセイントと呼ぶのは僕とアパートシアーをしている仕事仲間のSさんの事である。


Sさんは11年程前に両親を失った五人の子供達の育て親になったのだっだ。


亡くなられた両親は僕らの友人だった。

「お父さんが部屋で死んでいる」と、その長男から最初の電話をもらったのも僕だった。

心臓麻痺であった。


「さて、小学生の女の子も含めて残された五人の子供達をどうしたものか⁉︎」とコミュニティの友人達で話し合った時、Sさん夫婦が子供達が成人するまで引き取る事を決めたのです。


11年前と言えばちょうど僕とSさんの二人でラスベガス支店を設立する為四苦八苦していた時である。


そんな頃に先程のお店のオーナーに営業中の雑談で、Sさん夫婦が五人の子供達を引き取った事を話したのだった。


オーナーはひどく驚き「何それ!スゲ〜じゃん。そんな事は普通出来ないぜ!俺には無理だ。 Sさんボ〜としてると思ったらセイント(聖人)じゃん」といたく感動されたのであった。


それ以来「セイントSさん」となってしまった。


「あゝ彼は相変わらず元気にしてますよ(チョット太り気味ですが)。五人の子供達も皆りっぱに成人しましたし、末の女の子ももう大学生です」と答えると「スゲ〜よな〜」と相変わらずの反応であった。


一緒に住んでいると納豆とシメサバの好きな変なアメリカ人だが、客観的に見てこのストーリーを語れば確かに「セイントSさん」かもしれないなと思った。


中島みゆきの「地上の星」ではないが「人は空ばかり見ている」が意外と市井の人々の中にセイントは密かに住んでいるかもしれません。



僕の奥様の話しによれば、ロスアンジェルスで嘗ての僕の上司が病気で目を患われた奥様のボランティア活動を助ける為、仕事後や休日も疲れているのにもかかわらず奥様を助けて夫婦仲良くボランティア活動されていると言う。

奥様仲間ではその愛情と真摯な姿にセイント認定されているとの事だった。


僕の上司であった頃は、その片鱗さえ見えなかったのだが...。


人は何時何処で聖人に変貌するか分からないものです。

人生の中での選択でエゴを捨てて、為に生きる行動を踏み出した時「風の中のスバル 砂の中の銀河」になれるのかもしれませんね。


コロナ禍や大統領選挙時のイザコザで殺伐とした世の中ですが、キラリと光る「地上の星」は意外と身近に居るやもしれません。

そう、草原のペガサスや街角のビーナスも身近に。


もう一歩優しく強く有れば誰でもそのチャンスはありますよね。


そんな事を壁2つ隔てた別室から響くSさんのイビキを聴きながら思いました。


何の事か分からん人は「地上の星」の歌詞読んでね。


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