砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

社会のタブー

社会には色んなダブーがある。


年末にニューヨークから遊びに来ていた長男の友達が「ニューヨークではレッド ソックスの名前とハワイアン ピザをオーダーするのはダブーだ!」と教えてくれた。

パイナップルを乗せるハワイアン ピザはNYではオーダーしてはいけませんよ。


オジサンの家でもいくつかのタブーはある。

「テレビ見ながら飯を食わない」とか「夕食の時は政治の話はしない」とか「自分の洗濯は自分でやる」などだろうか。


社会で生きて行く為にはお互いのタブーを知っておかなければならない。

ユダヤ教徒にポーク料理を出してはいけないし、ヒンドゥー教徒に牛料理を出すのはタブーだ。

(その長男の友人はユダヤ人だがユダヤ教徒では無いので私の作った豚の生姜焼きを喜んで食べていた)


オジサンの会社でも性別、人種、性的趣向に対する差別はタブーとされている。

それが組織というものだ。


こうしたお互いの違い、ダブーな事を尊重する事を「良識」と呼ぶ。


昨今のアメリカの政治的混乱は、この「良識」が欠けている事例が多い。


私はトランプ大統領を支持していたが、議会に突入して「何しても自由だ!」と騒いだ「バイソンマン」達の行動は容認出来ない。

こうした過激なサポーター達がトランプ支持基盤を、かえって崩しているのは皮肉な事である。


全米で最も新型コロナ感染率が高いロサンゼルスのモール内で「マスクをしないぞ!自由に息をする権利がある!」とデモして叫ぶオバさん達も如何なものかと思う。

「モラル無き自由は無い」

しかし、メディアはこのデモもトランプ支持派の暴挙と強調してレッテル貼りをするメディアの姿勢も良識が無い。



同時にBlack Lives Matter で破壊と掠奪はデモのタブーを破るものであるし, シアトル市役所を占拠したり、デモ中にラスベガス警察を殺害した事件も民主主義のタブーを破るものだ。


我が社ではトランプ支持とバイデン支持者は半分半分なので私見を述べ合う事はあるが、それぞれの意見を尊重して喧嘩になる事は無い。

それが組織や社会を健全とする「良識」である。


宗教でも政治でも急進過激な行動を起こす者達はその組織を破壊する。

慈愛の宗教イスラム教も一部の過激なテロ組織によりイスラム教を倦厭する人もいるだろう。

それはキリスト教の歴史の中にも「良識」を失った悲惨な事件は多々見受けられる。


オジサンの家では私がトランプ派、長男はトランプ嫌い(バイデンが良いと言う訳でも無い)、次男は政治家嫌いなので大変である。


議論になる事は多いが「トランプはアスペルガーとかサンダースは悪魔とか、ヒラリーはヘビとか、或いはバイデンはボケてる」とかのレッテル貼りはタブーにして、実現可能な政策か否かの議論をするようにしている。


コレは意外と楽しい、可能な範囲でファクト チェックするので、お互い学ぶ事が多い。


一方的主張は疲れるものだ。


2日前に左派新聞と呼ばれるロサンゼルス ・タイムズにの載っていた記事に興味を持った。


ある公務員が議会でのトランプ支持のデモに参加していたのを見つけて上司が首にしたと言う。

(アメリカ国民の3割が大統領選挙に何らかの不正があったと信じているのだからデモも納得できる。)

デモは市民に与えた権利でもあるのに、それで仕事を首にするのは違法だと記事は書いてあった。

極めて「良識」ある記事だと思った。


共和党が上院を失った事は残念だが終わりでは無い、中間選挙に向けて頑張るしかないだろう。


負けた原因を反省して行く事も「良識」ある組織の行動だ。


しかし、色々あっても議論も批判もタブーな中共で無い事は感謝かな。

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