砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

帝国とパンデミック

先週NHKの「歴史秘話ヒストリア」で「ペスト 最悪のパンデミック」をやっとりました。

ペストに関しては以前カミュの「ペスト」としてブログした事がある。


14世紀に起きたペストのパンデミックは世界中でおよそ1億人が死に、ヨーロッパの人口の3分の1が消えた。

特に英国、イタリアでは人口の8割が死亡したと言うのは凄まじい。

イスラム教圏では1日5回の礼拝前に手洗いをする事によりペストを何とか抑えていたが、衛生習慣の無いヨーロッパでは瞬く間に広まった。


興味を持ったのが、あの時のペストの発祥地である。


元々は中央アジアのキルギス南部イシク=クル湖周辺の風土病だったが、13世紀に世界帝国モンゴルに支配される事でペストは拡散する。

シルクロードなどの帝国の作った交通網を通して黒海周辺までペストは持ち込まれた。


ここからどうやってヨーロッパに広まったかが興味深い。

モンゴル軍団は黒海貿易の拠点クリミア半島カッファの城壁に到達する。


その時攻囲軍のモンゴル兵の中にペストが発生するのだが、彼らはペストで死んだ兵士の死体を投石機でカッファ城壁の中に投げ込んだ。


やがて城はペストが蔓延して落ちる。

まさに細菌兵器である。

ヒデ〜事するな〜。


このカッファは商業都市ジェノバの植民地だったので、ペスト菌はカッファからジェノバに、そしてイタリア全土に広がりフィレンツェは「屍の町」と化す。

そしてヨーロッパ全土に広がって行ったそうだ。


今回のコロナ感染もヨーロッパでは現代のシルクロード一帯一路で中国からイタリアに真っ先に持ち込まれた。


何か考えされられる現象である。

中華帝国の拡大がもたらした悲劇かもしれないぞ。


国際化に伴いある地域の風土病があっと言う間に世界中に広まる時代になった。


便利になったが恐い時代である。


しかし、「なぜ今なのか?」の疑問はある。


この10年中国も国際化して中国人は世界中何処でも移動し、観光地では中国人だらけだ。


武漢は辺境の地では無く物流中心地だし、変な動物を食べるのは今に始まった事では無い。

「何を今さら」カンがある。


なぜ今になって武漢からウイルスが出て来たのか??

やはり武漢研究所漏洩説の噂は気にならざるをえない。

中共帝国がかつてのモンゴル帝国のように病原菌を悪用して無い事を願うばかりだ。


ペストは当時に人々の無知と噂によって拡大して行ったと言う。

今も昔も人間の行動がパンデミックを抑える鍵ですな。

かつて日本でペストを抑えた北里柴三郎のような人の登場を願うばかりである。

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