砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

生きる意義を探す。

毎週末のロサンゼルスとラスベガスの往復に少々の足腰疲労が感じて来た頃です。


長い単身赴任生活でこんなに家族で一緒の時間を過ごすのもコロナ現象の一つです。


通常日曜日は教会のサービスに行くのだが、こうした状況なので家庭礼拝となってます。


オジサンは文系人間なので、理科系男子の息子達に如何に信仰、宗教の大切さを教えるかは難しいものです。

そもそも親父の話を聞くような年齢で無いので、知性に刺激を与える内容で無いと難しい。


基本オジサンの信仰体験を中心として話しますが、このコロナ戒厳令下の異常事態なので、先回のカミュの「ペスト」に続き、今回の日曜はビクトル フランクルの「夜と霧」と世界名著シリーズでやってます。


「夜と霧」は英訳では「Man’s search for meaning」(生きる意義を探す)です。

ナチスの強制収容所下と言う地獄の中で人々を精神科医として見つめながら「生きるとは何か、何に希望を見い出すか、生きる意義は」を書いた世界的名著です。


「宗教書ではないのに説教に使えるんか⁉︎」と思うかも知れませんが、人間の尊厳性、生きる意義を知る事こそが宗教の目的なので共通点が多くあります。


「収容所下で死に直面し、極悪な状況下で無感情、無関心に陥って行く人達が多い中でもユーモアを忘れない人、信仰、芸術などの精神的自由を維持する人達の方が生き延びる者が多かった」とフランクルは述べる。


実際にわずかではありましたが、食べる物が少ない中でもパンを分け与え、優しい言葉を語りかける人間の自由と尊厳を失わない人達が存在したそうです。



また未来の目的や希望を持つか否かが生死を分けたそうです。


「1944年のクリスマスに解放され家に帰れる」という漠然とした噂に希望を託した人達は、それがかなわないとバタバタと死んで行ったそうです。


安易で曖昧な事への信仰や希望では無く、自らの中にある将来のビジョンや目的、信仰と希望への確信が生きる力となっって行きました。


もう一つの強調点はフランクルの言う「我々が生きる

事(人生)に何を期待するかでは無く、生きる事(人生)が何を我々に期待しているのかを問う」と言う逆転の発想です。


「如何なる状況でも生きる事の意義がある、使命、責任がある」と言うフランクルの人生観も感動です。


このコロナ パニックの閉塞感の中で人としての尊厳を持ち「我々が神に何を期待するのでは無く、神が我々に何を期待しているのか」


「生きる希望、生きる意義を探す期間にしよう」と30分ぐらいでまとめてました。


あっ それとユーモアを忘れない事ですね。


不条理な事が多い人生だけど、神様が私に何を願われ、私の生きる使命は何かを知る。

大事な事です。


今回は、少しは息子達の感銘を得れたかな。



さて来週のネタを探さ無いといけません。

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