砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

楠木正成と歴史ロマン

NHKの歴史秘話ヒストリアで「楠木正成」をやっていた。

ボーと見ていたが、楠木の出白の話となる。


なんとオジサンの故郷ではないかい!

番組でも国吉田、中吉田、楠などの昔の地図が出る。


楠新田の近くに実家の田んぼなかったかな〜。


何でも楠木氏は河内の出ではなく駿河国入江荘楠木村(静岡市清水区)の武士で幕府の御家人であったと言う説があるらしい。

当時の苗字は封された地名から取られるので、この地から河内に移ったと言うわけだ。


いや〜全く縁の無い楠木正成ではあったが、なんか親近感が出てきた。


オジサンの先祖が鎌倉時代に何処で何をしていたかは知る由も無いが、楠木氏の先祖が同じ地域で生き、富士を見つめ、近くを流れる巴川で釣りをしていたかも知れないと思うと他人とは思えませんなあ〜。


オジサンの先祖は小野田(確か?)を名乗っていたと聞くが、鎌倉時代の有力御家人の安達家の先祖で源頼朝に仕えた小野田三郎兼盛と関係が有るや無しや。


この静岡と愛知多い小野田姓は愛知県豊橋市の小野田の地名から来ているなどなど、ネットで調べ、その土地をマップで見て喜んでいる。

自宅でヒマをつぶすには持って来いだ。


全く他人には関係の無い歴史ロマンである。


しかし、人の移動とは不思議なものである。

当時の様な交通が不便な時代でも生地を離れ、遠く移動しなければならなかった理由があったのだろう。

 

主君の封地移転や戦乱、避難、流民となったかは分からないが今オジサン達が生きているのは先祖が色んな苦難、苦境を乗り越えて生きて来たからに違いあるまい。


歴史の中で戦乱のみならず地震、富士山噴火、天然痘やコレラのパンデミックも乗り越えて来たのであろう。

有難やありがたや。


そういえば昨年実家に帰った時、兄が先祖の中に明治時代(?)にキリスト教に入信して、やがて砂糖会社の設立の為に台湾に移住した親族がいるらしいそうだ。


明治、大正の時代に名家、旧家の者がクリスチャンになり故郷を離れて台湾に渡る何て言うのは人生の大変革であり、さぞかし大変であったかと思える。


この時期のクリスチャンと言えば内村鑑三と新渡戸稲造(どちらもクラークの弟子)が有名だが、この内村鑑三の信仰の友に静岡製茶業発展に貢献された原崎原作がいる。

今では茶工場のな残りが菊川市の赤レンガ倉庫として残るのみである。


原崎原作は静岡市の名士だったので、もしかしてオジサンのこの親族はこの辺の繋がりでキリスト教に改宗したのかも知れませんね。


当時台湾総督の児玉源太郎と民政長官の後藤新平は台湾製糖の発展の為に呼んだのが新渡戸稲造であった。

この辺にも昔の親族が台湾に渡ったクリスチャン繋がりの糸があったりして。


静岡の旧家でクリスチャンになり台湾に渡り製糖産業に携わったとすれば、この辺の人脈の流れがあったやも知れません。


こんな妄想とも言える想像をするのも面白いものです。


故郷を離れるのも、人との出会いも人知では計り知れない不思議なものです。


実はオジサンの家族が所属しているロサンゼルスの教会に、この原崎原作さんの直系の子孫がいるのだ。(内村鑑三との書簡を一杯持ってるぞ)


ここの家族とは長い付き合いですが、まさか先祖が同じ故郷でお茶事業の関係もあったかも知れず、同じ時代の祖先にクリスチャンがいた事を知ったのはつい昨年の事でした。


(最も彼には伝えて無いのですが)


世の中、広いようで狭い者です。オジサンの歴史ロマンは続く。

上記の内容は史実で立証出来ないので突っ込まないでね。

少し長いブログでしたがコロナ自宅待機中なので、あしからず。

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