砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

ぶらじる丸

業界のシーラカンスである我が社のS師匠と昔話をしていたら、S師匠は1969年にぶらじる丸に乗ってアメリカに来たと言う。


ハワイ経由で一ヶ月ぐらいかけての船の旅であったそうです。


「え~大変だったでしょう」とオジサンが聞くと、
「いや~人生で一番楽しかった!」とおしゃる。
映画や、ダンス、舞台などなどキラキラと楽しい船旅だったそうだ。


新天地を求める青年の目には全てが華やかに見えた事だろう。
当時はまだ日本人、アジア人に対する偏見もあったようだが、あまり気にしなかったそうだ。
高度成長期に入るとぶらじる丸などの客船はすたれてしまったが、旅をしている実感がわいて良かったそうだ。
今はアメリカに来るのも、日本に帰るも随分ハードルが低くなって「ちょっと行ってくる」と言う感覚で、飛行機内で一休みしたらもうアメリカに着いてしまう。


S師匠は御年72歳になられるが、今も全然元気で毎年一回は世界漫遊の旅に出かけられている。
元気な秘訣を聞いたら「好きな事をする事」だそうだ。
なんか羨ましい。


オジサンも27歳の時にアメリカに来たが、アメリカに定住を決めるまで三年ほど迷った。まったく新しい世界に飛び込むのは不安と期待が交差するものです。


しかし、住めば都で今ではアメリカ生活が完全に馴染んでしまった。かえって日本に住む方が馴染めなくなっているかもしれない。
子供もアメリカンだし、骨はアメリカに埋める事になりそうだ。


昔、日系アメリカ人を譬えて「一世は竹、二世はバナナ、三世は蜂」という言葉がある。


一世は白い雪の下でも偏見を乗り越え、辛抱強く頑張って生きて行く、
二世は外は黄色いが中身は白人(アメリカン)
三世は白い花と黄色い花の間を行き来する。と言う譬えと、蜂はルーツを求めて巣に帰ろうとする。の2つの譬えを聞いたことがある。


オジサンの時代はもう偏見はさほど無く、日本人の社会的ボジションも随分上がったと思う。
二世の息子達は日本の漫画のせいで随分日本的カルチャーを色濃く持ち合わせている。
さほど日本語を教えた覚えが無いが、読んだり話したりできるので「どうやって覚えた?」と聞くと日本の漫画を読みながら覚えたそうだ。


三世(孫)はまだいないが日本とアメリカ間の絆を大切にして欲しいものである。



オジサンは輸入業者なので米国と日本の関係はビジネスや生活に大きな影響がある。
特に、緊迫する東アジア情勢の中で日本の立ち位置は極めて重要であると思う。


周りを大変な国に囲まれているが、何とか頑張って発展して頂きたい。

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