砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

食に国境無し

今日は眼医者に行って来ました。


メディケア(米国高齢者保険)の方から「白内障などの予防の為に行ってこい」と言われたからです。


何の問題も無くドクターから「you are very good !」と言われて少し嬉しい。


最近肉体的な自信喪失状態だったので、目ひとつでも褒められると嬉しいものです。


今週の初めにWinter Fancy Food Show という催しがコンベンション センターでありまして、行ってまいりました。





世界各国から食のオリンピックの様に自慢の食材を展示して、ビジネスチャンスを広げようと切磋琢磨。



その中でもJapan コーナーは各都道府県から多く出店されていて、大変美味しく勉強させて頂きました。



それもそのはず、今回はJETRO(日本貿易振興機構)が完全バックアップして、日本食品の高品質と安全性を強調した内容でした。



というのも福島の処理水問題で、中国がイチャモンつけて日本の水産物を輸入禁止処置をしているので、生産者の方々は本当に苦しい思いです。


そこで日本食ブームが続くアメリカ市場で情報発信を拡大して行く企画があるようです。


私達も在米の日系ホールセイラー(卸業者)として日本をサポート出来るチャンスがある訳ですから、色々と新商品の輸入を商談させて頂きました。


こんな美味しい物が、国境を挟んで食べれない中国人民がかわいそう。


「食べ物に国境は無い」と安藤百福さんの名言のように、日本食の美味しさはボーダーレスです。


私はイタリア コーナーで百を超えるチーズの試食に大満足。


こちらもボーダーレスでしたよ。

人生と言う名の旅

何だかんだで生きてきたら、66になってしまいました。

色んな所をほっつき歩いていたら砂漠の町ラスベガスにいる。




ムーア人の諺に「旅をしない者は人間の価値を知ることはできない」とあります。


人生と言う名の旅も、なるほど山あり谷ありの自分探し道でしたね。



人生の岐路に立ち、色んな選択肢で悩んだはずなのに、振り返って見れば1本の道でした。



さて、これからの道は終着地に向けての旅な訳ですが、やはり旅は楽しくありたいものです。


古代ローマの詩人ウェルギリウスは「生きるかぎりは歌いながら行こうよ。道はそうすれば、それだけ退屈でなくなる。
」と語り


名優チャップリンは「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ」と語ります。


人生の後半だからこそ、若い時とは違った持てる夢や希望もあるものです。



その為には健康である事ですよね。


先日、針医師の友人に昨年からの体の不調を伝え、診てもらいました。


緊急時には西洋ドクターが頼りになりますが、体質の改善には東洋医学が役に立つと思います。


身体の中のしこりに血の流れの滞りがあるようで、それをほぐしてもらい、だいぶ調子が良くなってきました。

有り難い事に、自分でも出来る内蔵強化のマッサージ法を教えて頂き、これでこの一年は乗り切ろうと思います。


やはり旅は健康でなければ楽しくありません。

また、奥さんと楽しい旅をしてみたいです。



最近感動し、自分の立ち位置を考えさせてくれた松下幸之助の言葉を自分の誕生日プレゼントにした。


「自分には自分に与えられた道がある。

天与の尊い道がある。



どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。


広いときもある。狭いときもある。

のぼりもあれば、くだりもある。
坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。



この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。

なぐさめを求めたくなるときもあろう。



しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。


いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。



自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。


他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。



道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。


心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。


深い喜びも生まれてくる。」


思い出もホロ苦く。

兄嫁から卒業アルバムが送られてきました。




静岡の実家の建て替えの為に荷物の整理中に出てきたそうで、幼稚園、小学校、中学校の時のアルバムです。


むかしタイムカプセルなる物が流行りました。

ブリキの缶の中に手紙や好きな物を入れたりして、小学校の木の下に埋めた奴です。


アルバムを開くと、あたかもタイムカプセルを開けたかのように忘れ去った昔がよみがえって来ました。



そう、あのホロ苦い時代が甦って来るのです。


幼稚園の頃って一体何をしていたんでしょうかね?



どう過ごしたのか全然思い出せませんが、このお遊戯会は覚えてます。


人と違う動きをしていたようで、家に帰ってから「あんたは何で皆んなが左に動くと右に、右に動けば左に逆に踊るのよ!」とドッちかられた覚えがあります。


なぜ⁉︎その証拠写真が保管されていたのか⁉︎

しかも何枚も.....。


小学生時代はボ〜としてましたね〜。



勉強をした記憶がまず無い。


宿題忘れの常習犯で、母が「いいかい!宿題はやったんだけど、お母さんが間違えて釜戸で燃やしてしまったと先生に言いな!」と捨て身の苦しい言い訳を考えてくれたのを思い出します。


しかし、この言い訳は3回目には先生も苦笑いしたので封印されました。


後は0点のテストを証拠隠滅の為に家で飼ってたヤギに食わせて、やがてヤギが早死にした事かな。

子供心に0点の紙で消化不良を起こしたに違いないと罪悪感がありました。


不思議に実にロクでも無い事が懐かしく思い出されます。


奥さんはアルバムを見ながら「お母さんはさぞかし大変だったね〜」と意味ありげなコメントを吐く。


まあ、しかし何とかあの時代を乗り越えて今があるんだから、暗黒史も笑い話になる年齢ですかね。


中学校ぐらいの写真を見れば大体は同級生の顔を思い出しますが、幼稚園、小学校はかなり忘れてます。


色あせた写真のように、記憶も色あせてしまうものです。


しかし、昔の集合写真って今のようにカメラ目線とか、ポーズは取らないのでありのまますぎる写真が多いですね。


何かぎこちない。


緊張をほぐすために写真を取る時に「はい チーズ」と言うようになったのは、1963年の雪印のCM で流行ってからだそうです。

(フランスから始まったポーズの撮り方)


幼稚園の時はまだ一般的では無かったのかもしれません。


苦い思い出も、懐かしくも笑える思い出でとして振り返る事が出来て、送って頂いた兄嫁に感謝です。


幼稚園のアルバムの表紙は「ウサギとカメ」の童話をモチーフにしたのでしょうが、カメはダメージを受けているので勝者はウサギに見えるのがシュールです。



最後に笑うのが誰かは、本当に最後まで分からないのが人生ですね。