砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

人の脳は能力の10%しか使ってないのか⁉

「人の脳は能力の10%しか使っていない」という事は昔からよく聞いた話であるが、最近はその信憑性に疑問があるそうです。
「お前の場合は2%だろ」と良くからかわれたものです。


会社からの帰り道、きれいな夕焼けを見ながら人の能力(タラント)の事を考えました。


もし10%しか使ってないのなら、まだ伸びしろが90%あるのですから、
「俺は、まだ実力を出し切ってはいない!」と自分の能力の可能性を信じて、ポジティブに考えるなら良いではないでしょうか。


成長期の若者に「お前の能力はそんなもんだ!限界だ、もう諦めて寝ろ!」というより、「君の可能性はそんなもんではない。やれば出来る。ただスイッチが見つからないだけだ」と言ってあげた方が良いですよね。


私の脳の能力のパーセンテージはともかく、自分が使っているコンピューターやスマホ機能の能力は多分10%~20%位しか使っていないと思います。
通常業務に使う機能は決まっているので、そこから外れると異次元世界に放り出されたような感覚です。
だいぶ使えるように成ったかな~と思っていると、更に新しい機能がポンポン生まれてきて追いつけない。
その辺で売っている普通の計算機であっても一度も触ったことのないボタンがいくつもあり、エンジニアの息子は勉強で使うそうだがオジサンにはまず無理。


ビック バーン以来宇宙は膨張し続けているそうですが、ITの世界の膨張速度は凄まじく、「私の能力では永遠にたどり着く事はあるまい」と感じます。
従って、コンピュータもスマホも最新の物ではなく、少し遅れたモデルの方が安いし能力的に十分です。
新しいスマホが出るたびに徹夜で並んでいる情景をニュースで見るが「あんな高い物を本当に使えるんかい?」とオジサンはヒガミに似た思いを持ってしまう(使えてたらゴメンナサイ)。


しかし、そうした凄いIT世界を作り出す人間の脳、人の能力(タレント)は、まだまだ未知なる無限の可能性があると思います。


私達の脳の能力が最大限に発揮されて、今まで不可能とされていた事が可能となる未来が来ているはずです。


聖書のマタイ伝に「タレント(ギリシャ語でタラント)の譬え」があります。
タラントは古代ギリシャ、ローマ(タレント)の質量の単位であるが、このタレントの譬えで「その『能力に応じて』タラントを預けた」ところからコノ言葉は才能、能力の語源になったそうです。


要約すると、「主人(神様)が3人の僕に、それぞれタレント(タラント)を預けた。5タレントもらった1人の僕は商売して2倍にして10タレントにした。もう一人の僕は2タレントもらって仕事をして4タレントに増やし、2人とも主人にたいへん褒められた。しかし、1タレント貰った僕は、失うことを恐れて地下に隠して努力しなかった。主人は『悪い怠惰な僕よ!』と怒られて外の暗い所に追い出されてしまった」と言う譬えです。


「人それぞれ、天から与えられた能力(タレント)の種を持っているが、生きている間に努力して、その能力(才能)の種を実らせ、花を咲かせなさい」と言う意味でしょうか⁉


人それぞれ種類も内容も違いますが、天から与えられた能力、才能、使命、役割が何となくでも感じて来ると人生有意義になりますよね。


少なくとも「タレントの譬え」にある悪い僕の様に、地下に埋めて終わってしまう人生にはしたくないものです。


人生60にして第四コーナーのカーブを巡ろうとするこの時、
中島みゆきさんの歌の中にある「頑張ってから死にたいな~」を口ずさみながら、今日のブログを終えて寝ます。





中島みゆき #16「 重き荷を負いて」〜みゆきさんと同じ時代にいた事が幸福です【HD】



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