砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

天国寿司

先週末は月曜日がメモリアルデイの休みだったのでLAに車で帰った。


次男の誕生日でもあったので、マグロの中落ちで手巻き寿司を計画した。
さすがにマグロは飛行機だと手荷物検査に引っかかるだろうと思い老骨に鞭打ってドライブした。


仕事柄、いろんなマグロを食べるが、メバチマグロの骨に付いている赤身をスプーンで取った赤身の落ちが一番美味しいかもしれない。

日本から持ってきたパリパリの海苔に、ほど良く寿司飯とマグロを乗せて食べると、コリャまた美味しい。


美味しい食事の時はあまり会話が出てこない。食べるのに夢中で手と口だけが慌ただしく動くのである。
最後に静岡茶を飲んで「あ~満足」と言うわけだ。


家族がむさぼるように食べる姿を見ながら,学生時代にサークルの食事の時の余興で、たまにやっていた「天国寿司」を思い出した。


形態は同じである。寿司飯、海苔、寿司タネとあるが,タネと言ってもカニカマや野菜でマグロのような高級な物は無かった。
これで手巻きを作るのだが、自分が食べるのではなく他者にあげるのである。


これは仏教の「天国と地獄の長い箸」の説法から来ている。


地獄は長い箸なので御馳走を食べようとしても口に入らず皆痩せているが、天国はその長い箸で御馳走を他の人に食べさせてあげるのでみんな肥えている。
要は「為に生きなさい」と言う話だ。

天国と地獄の長いはし - 蓮行寺


この説法の実践と言う事で、自分の為の手巻きではなく、誰かの為の手巻きを作ってあげるのが「天国寿司」だ。
オジサンも先輩の立場だったので色んな人が手巻きを作って持ってくるのだが、奇麗に作って来る女子もいれば、「お前、手を洗ってから作ったんだろうな!」と思う様な食べるに躊躇する手巻き寿司を持ってくる奴もいる。


そのうち「日頃の感謝です」と笑顔を浮かべながらワサビがたっぷり入った爆弾を持ってくる奴も2,3人いた。
基本的に断らないルールだったので「天国寿司」は最終的に修羅場を迎え「地獄寿司」となる。
人は罪深いものである。


そんな思い出を息子達に話して「我が家でもやってみようか?」と話を持ち掛けたが、無下も無く断られた。


やはり手巻きは好きな物を、好きなだけ適度に食べるのが宜しいようです。

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