砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

君に相会うその日まで。

昨日悲しい知らせを受け取った。


友人が他界した。

59歳とまだ若いが、癌の進行が早かったようだ。



「もう直ぐ生まれる孫を見るまでは頑張る」と言っていたが残念です。


彼とは学生時代に同じ釜の飯を食べた信仰の友であった。


横浜国立大学の優秀な学生であったが、実に柔和で誠実な人でした。


2年ほど前に不思議な縁で36年ぶりにLINEでその時の友人達が繋がり、今年の9月に帰国した際には横浜で同窓会を開き再会を果たす事が出来た。


病気である事は聞いていたが元気に話し合うことが出来たので、早すぎた別れに驚いている。


10日ほど前に緩和治療で自宅療養していると聞いて、近くの友人はお見舞いに行ったり遠くの者はビデオメッセージを送ったりして励ました。


力無くも気丈に笑顔で感謝を伝えてくれて、最後まで優しい奴だった。


愛する奥様や子供達に見守られて天国に旅立った彼に、むかし日本でよく歌った歌を幾度となく口ずさんだ。


善き闘いを成し終えて

永遠の御国に入りし君

天使天軍迎え立ち

讃えの歌ぞ響きたる


輝き集う神の民

生命捧げし証し人

並び立ちたる門に入り

白い義の衣まとう君


臨終の息の中にさえ

愛し奉りし主の前に

近く進みて労いの

手を賜るか、今君は


われも御業にいや励み

天にぞ積まん善き宝

勝ち歌唱う凱旋の

君に相会うその日まで


そう「君に相会うその日まで」もう少しこちらで頑張って「おみやげ話し」を集めてからゆく事にしよう。

フランチェスコの平和の祈り

アメリカはThanks giving Day (感謝祭)からクリスマスを挟んでNew years Day (元旦)までをHoly seasonと呼びます。

Holiday では無くHoly season , 聖なるシーズンです。


普段はバラバラに暮らす家族も、この時ばかりは集まり時を過ごすので、友人達のクリスマス ディナーの家族写真がFacebook を賑わします。


ニューヨークの長男夫婦も12月18日ユダヤ教のハヌカの祭はニューヨークで、25日のクリスマスは母方の親族集まるバーモントで、そして新年はロサンゼルスで一緒に迎えようと帰って来てます。


まあ何ともホーリーな忙しさです。


さて私はクリスマスはボッチで過ごし、掃除、洗濯、Netflix を観てましたが、「今際の国のアリス シーズン2」全部見てしまいました。


イエス様の誕生を祝う日としては相応しく無いチョイスとは思いましたが、それなりにハマって見てました。


その後はクリスマスらしいホーリーな物も見ようと思いまして、YouTube を探していたら懐かしい映画がありました。


「Brother sun Sister moon 」は学生の時に観たのでので40年以上前の映画ですね。



アシッジの聖フランチェスコを描いた映画ですが、初めて観た時の感動が甦ってきました。


世俗の欲から解放されて、心の自由を求めて神様への信仰の為、清貧の修道生活を決意する姿に心が動きました。

この映画に感動出来たあの時の自分も純粋だったなぁ〜と思ったりして。


2022年もあと僅かです。

やっとコロナ禍から解放されて、自由が返ってきたかと思いきや、ウクライナ戦争を始め様々と心悩ます現実から解放されない毎日です。


しかし、そんな中でも「フランチェスコの平和の祈り」を口ずさみながら、新しい年に希望を持って元旦を迎えたいですね。



主よ、わたしを平和の器とならせてください。

  憎しみがあるところに愛を、

  争いがあるところに赦しを、

  分裂があるところに一致を、

  疑いのあるところに信仰を、

  誤りがあるところに真理を、

  絶望があるところに希望を、

  闇あるところに光を、

  悲しみあるところに喜びを。


ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

  理解されるよりも理解する者に、

  愛されるよりも愛する者に。

  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、

  許すことによって赦され、

  自分のからだをささげて死ぬことによって

  とこしえの命を得ることができるからです。


     by アシッジのフランチェスコ

サプライズ クリスマス プレゼント

さて今日は日本より1日遅れてのクリスマス。



今回日曜日と重なったので月曜日が振替休日なのですが、ラスベガスはNewYear のカウントダウンで今週は超忙しくなるので明日も出勤することになった。


さてアメリカのクリスマスは日本の正月みたいもので、飲食店もスーパーマケットも閉店。

家族が集まりクリスマス デナーを楽しむ時です。

外食しようと思えばチャイニーズに行くしか無いだろう。

(その代わりNew yearsは花火ぐらいの休日)


建国の歴史的背景からして宗教的なので、改めてキリスト教国家と感じる日だ。


そんな訳で今回はロスの帰らずベガスで一人のボッチクリスマス。

教会もサンデーサービスは無く「クリスマスは家族で祝って下さい」とのメッセージで、まあ通常の日曜日と同じように掃除、洗濯とNetflix でも見る事としよう。


しかし、一人でクリスマスを過ごすとユックリと思索する時間も出来る。

「息子達に送ったプレゼントが喜んでもらえたかな」とか、家族や友人達の事を思いながら時を過ごす。


プレゼントと言えば先日、静岡の家からサプライズなお知らせを頂いた。


9月に他界した兄が「天皇陛下から従六位瑞宝双光章を授与されました」とのお知らせだ。



この叙位叙勲は「国及び地方公共団体の公務又は次の各号に掲げる公共的な業務に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与する」とあるので、長年に校長先生や自治会長で苦労されて来た兄の受勲は嬉しい。





敬愛する兄の受勲を祝って、酒では無く静岡で頂いた掛川茶で乾杯しました。(お酒飲まないので)



ベガスのアパートにはろくな茶碗も置いて無いのでチョット申し訳無い気持ちですが、兄も天国で喜んでいると思います。


父もそうだったが実に公共の為によく尽くす人でした。

子供の頃はよく分からなかったが、父の葬儀で多くの人々が哀悼を捧げる姿を見て痛感しました。


4年程まえに帰郷した時に兄が「オヤジは仕事(農家)でも無いのに、区画整理や幹線道路計画などで随分と地域の為に尽力してくれたんだよ」と語っていた事を思い出します。


兄もコロナ禍の葬儀に関わらず、多くの友人や教え子が哀悼を捧げてくれました。


そんな兄に「国からのサプライズ クリスマス プレゼントの叙勲だったな」と天国の兄と茶を飲み酌み交わすクリスマスでした。