砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

猿は祈らない。

寝る前のわずかな時間をプログに使うのが習慣になってきた。
日記感覚なので一日にあった事、思ったことを書くわけであるが、思いを文字にする事は頭を使うものである。
めんどくさいから今日は無しにしようと思ったりするが、書かないと何となく一日を整理しないで終わるようで寝つきが悪い。
忙しい時も今日はスキップと思うが、まあ少しだけ書こうかなとなって深みにはまる。
忙しいと言う字は「心を亡ぼす」と書くが、生活に追われると心の整理が無いまま日々が過ぎって行ってしまう。


オジサンは夜寝る前に祈っている。何を祈るのかって?
奥様の事、息子達、日本の母、家族、仕事や友などなど思いをめぐらすことは一杯ある。
日記と同じで祈らないで一日を終わるとなんか寝つきが悪くなっている。


特に単身赴任していると近くにいないので祈らざるをえない。
息子達も車で学校に通っているので事故しないか心配になる。今のとこ軽い接触事故ぐらいですんでいるが、ロスは危険な運転が多い。何か出来るわけでは無いので祈るしかないのである。
携帯があるから電話すれば良いのだが、息子達ぐらいの年齢になると言葉では伝わらないものがある。
親になって分かった情の世界ではあるが、彼らの幸せを願う強い思いが祈りとなって出てくるのではないだろうか。


宗教を問わず、この祈りと言う行為は人間特有のものです。
動物園の猿が祈っているとは聞いたことが無い。


西郷どんの「敬天愛人」の様に天命に従おうとするのも、自分の人生に意味とか使命を探るのも人間だけでは無いだろうか。


今日はビクトール フランクルの「夜と霧」のお勉強(YOU TUBEで)したのでそんなことを思ったのかもしれない。
昔、学生の時(義務的)に読んだことはあったが「暗いな」と言うイメージしかなかったが、人生六十を過ぎて「夜と霧」がなぜ名著と呼ばれるか理解できた気がする。


今一度、人生を見つめ直すには良い機会かもしれないな。


と今日はブログと祈りで一日を整理して寝るオジサンであった。

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