砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

宿命の道

横浜同窓会はますます人数を増やしている。


36年前に同じ学舎で過ごした仲間達とのLINE 同窓会は不思議な世界である。


名探偵コナンが「身体は子供、頭は大人」であるなら、この同窓会の世界は「心は青春、身体は中高年」である。

街ですれ違っても気づかないかもしれない変わり果てた姿になっても、LINE に入るとオジサンも輝ける青年時代にタイムスリップするのだ。


Zoom の様に現実を画面で見ないところが不思議な異世界を作り出している。


横浜は25、6歳の2年余りの期間であったが、時の流れの中で確かな一時代であった。


最近ふっと思う事がある。


「あの一時代に自分の使命や責任をどのぐらい果たせたんだろうか」と。

「一期一会」ではないが人と人との出会いに、どのぐらい心を尽くしただろうかと思うと、未熟だった自分に恥ずかしくなる。

もうちょっと何か出来たかなと思ってしまう。


それ以降の30代、40代の一つ一つの時代も運命と時の流れの中で、人との出逢いや経験が積み重ねられて今の自分があるわけだ。


そう考えると、あの横浜時代も天が自分に与えてくれた良き一時代だったと思えて来る。



振り返れば渡米してラスベガスにいる自分も不思議だ。

自分の意思だけでは無い、何か運命的、宿命的なものさえ最近は感じてしまう。


と言うのは3年前に帰郷した時、兄から突然聞いたファミリーヒストリーだ。


明治か大正の時代、格式高いお寺の檀家であった実家から、キリスト教徒となり親族の縁を切って家族で台湾に移住したと言う分家があったらしい。


それなりの家だったので、当時とすれば大騒動であったであろう。


たぶん当時台湾製糖業の責任を持ち、篤実なキリスト教徒であった新渡戸稲造の関連か何かで台湾製糖の役員か社長をやっていたのかもしれない。


兄もお墓を調べて3年ほど前に知った新事実、驚いた。(前にブログで書いたが)


名も知らず、資料が残っていないので詳しい事はわからないが、所謂「親戚の中には必ず1人はいる変わったオッチャン」であった。


こうしたDNAが我が家系に先駆けてあったのには驚いた。

何故ならば私も海外に出た、その「変わったオッチャンの一人」だからである。


もう一つは

江戸時代に東海道沿で両替屋もやっていたので古銭箱が家にあり、その中に古い米ドルが何枚かあった。


誰に聞いたか覚えて無いが、祖父が若い時に国から金が出てアメリカに行く予定があったそうだ(真偽は定かでは無い)。

そんな事を思うと私がアメリカに来た事も宿命的な道だったかと感じる。


信仰者として、仕事人、家庭人として「一期一会」の心で今ある時代の責任を全うするのが天が下さった宿命なんだろうな。


最近、我が家系のもう一つの宿命も発見した。


「奥様の尻に敷かれる」と言う夫達の宿命である。

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