母を思えば
「母の日や 老いても 子らの便り待ち」
母がまだ元気だった頃に読んだ俳句だ。
母の日が来るといつもこの歌を思い出す。
今年は便りでは無く、施設の方にお願いしてZoomで母の日のお祝いを伝えた。
90を超えた母は去年のクリスマスのZoomの時より調子が悪そうであった。
長男の結婚を報告し、家族一人一人がメッセージを送る。
辛そうなので短い時間で終わってしまった。
毎年帰省して母を見舞っていたが、昨年も今年も帰省する事が出来ず歯痒い思いである。
多くの言葉を交わす事は出来なかったが、私達家族の元気な姿を見て微笑んでくれた。
ロスからラスベガスに帰り単身赴任生活にもどると、1人時間があれば母の詠んだ俳句集を手に取って母との思い出に浸った。
この俳句集は校長先生をしていた兄夫婦が母の俳句をまとめ編集した物だ。
「日脚伸び 少しゆとりの 針仕事」
「徘徊の 母に重たき 春の月」
「花冷えの 重ね着となる 農作業」
「通院の 疲れを癒す 花ふよう」
「何もかも 嫁に譲れり 春の風」
一つ一つの歌から母の生活の中に刻まれた思いが伝わって来る。
「菜の花や 子の持ち帰る 陽の匂い」
小学生の頃、良く宿題を忘れて朝アタフタする私を、母は農作業用のヤマハのカブの後ろに乗せて学校まで送ってくれた。
「バカな子だね!」と叱られながらも、母の体にしがみ付きながら見えた農道の菜の花畑が綺麗であった。
それもまた陽の匂いがする思い出だった。