砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

母の日に思う。

今日は本、メール、書類の整理を奥様と行った。


10年前に単身赴任生活が始まったので、そのままにされていた書類の数々がある。

丸1日掛けて出した不要物は大きなゴミ袋4つとなった。

奥様も「母の日前に何でこんな労働があるんじゃい!」と言うが、断捨離して部屋もスッキリ。


さて書籍類を整理していて、ずっと探していた物が見つかった。


9年前に兄夫婦が編集してくれた母の俳句集である。


日本から送って頂き暫く手元に置いていたのだが、ラスベガス単身移動時のドタバタで他の書類に混ざったか長い間紛失していた。


それが母の日前の大掃除で見つかったのだ。


母が30年間以上に渡り詠んだこの俳句集には、母が作成したちぎり絵や孫達の写真に、趣味で育てた菊などが入っている。


読んで行くと「母の日」に関する句があった。


「母の日や 老いても子らの 便り待ち 」平成7年

       

毎年送っている母の日のプレゼントも今回はコロナ禍で控えていたが、この句を詠むと何か心が痛むな〜。


読み進めて行くとオジサンの帰省を待つ母の句もある。

「帰省子を 待つ軒下の つるし柿 」平成15年


俳句とは不思議な物だ、短い言葉にその情景が浮かんでくる。

オジサンの息子達(孫)が初めてアメリカから母に電話をした時に詠んだのだろう。


「初電話 地球の裏の 孫の声 」


「海越えて 孫の便りや 福寿草 」


ボケ防止の為と言って五十の手習で始めた俳句やちぎり絵、琴にハーモニカと勤勉な母である。

その母も今や九十を超えた。


「母の日に 便り託す 春風か 」


「安らかな 春を願う 母のもと 」


と、カリフォルニアの青い空を見ながらオジサンも詠んでみた。


母が俳句に対する思いを詠った句がある。


「句に逢いて 拾いし余生 花芙蓉 」


9年ぶりの母の日に見つかった母の俳句集が、色んな事を語りかけてくれる。

オジサンも俳句を勉強しようかな。


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